| 〈甘粛僻地の希望小学校訪問体験記1〉
巨漢一馬書記の熱き心遣い 鄭 青榮
真夏の昼下がりは、甘粛の奥地でも暑さは変わらない。ただ、湿度が低いせいか長袖のワイシャツ姿でも汗ばむことは殆んどなかった。「満陳家中日友好希望小学校」の落成式典を無事終えた私に、いよいよ村を離れる時が迫って来た。校門前の沿道にはまた村民たちの人垣ができていた。いつの間にか、乗用車が校門前に差し回されていた。車上の人となった私は、窓越しに彼らにしきりに会釈しながら手を振りつづけた。ある種の達成感と安堵感がこみ上げ、純朴な感じの村人や真新しい校舎や村の景色への名残惜しさがじわじわと心に涌き上がってくる。北京から2,200キロもの旅路を越えて、よくこの村までやって来れたな……、次は何時また来れるかしれない……。私を載せた乗用車が山道を登り、見晴らしのよくなったところで、馬書記は遠ざかる谷合いの学校全景をカメラに収めるよう勧めてくれ、運転手に停車を促した。4台の乗用車が海抜3,000メートルもの山道を疾駆する。途中、馬書記の計らいで、落成式に参列した県政府要員ら全員が車から降りて、段々畑の広がる積石山の景色を背にー一緒に記念写真に収まった。
<少数民族の男性は亭主関白>
180センチの堂々たる巨漢ながら、馬書記は細やかな神経も持ち合わせている。「劉家峡ダム」の渡し場から黄河上流の秘境「炳霊寺石窟」を見物に行かせてもらったときもそうだった。黄河の急流をモーターボートを飛ばし、ときに川の真ん中へ、ときに岸辺近くへと大きく蛇行しながら逆上るのはなかなかスリリングだった。遊覧から戻ると、「モーターボートの乗り心地はどうでしたか?」と馬書記がわたいこ聞くので、「ボートは疾走すると、船体の下腹で波を叩くような衝撃音をしきりと出し、気になったけど、でも爽快で面白かったですよ」と答えると、彼はほっとしたように「あのコースにー番慣れた熟練の操縦士をつけるよう部下に言っておきました・・・・・・」。私の身の安全を気遣って、ちゃんと手を打ってくれたんだ。私はたいへん感激し、驚きもした。そこまで配慮をしてくださるとは。巨体に秘めたこの細やかな心遣い、私はこの22万県民を代表するトップリーダーに深く感謝し、脱帽した。
今回の希望小学校訪問の旅は、正式には蘭州空港から始まり、臨夏市、積石山県、さらに夏河市へとつづく。蘭州市への帰路には再び臨夏市に立ち寄った。全行程を若手の李保崗副書記が責任者として付き添ってくれたが、馬書記は甘粛省長たちとの橋梁架設プロソェクトに関する重要会議の合間にも会いに来てくれた。実は数日ほど前に80歳で亡くなられた母親の葬儀を済ませたばかりだと、馬書記に打ち明けられた私は、さらに驚いてしまった。回族の彼は、40代後半に見えた。ふっくらした顔は浅黒く日焼けし、立派な「普通話」を話した。彼は礼儀正しく、客人を大切にし、落ち着いた物腰の中にも、豪放さと決断力に富み、男惚れするタイプの魅力的な人物だった。連れの次男盛華にもたいへん気を遣い、しきりと留学に来るよう勧めていた。冗談交じりに次男の嫁探しが話題になり、日本文化の中で育った彼は、日本的な女性に憧れているようだと私が話したら、馬書記たち幹部は、異口同音に「ここの少数民族の娘さんだって、日本女性に負けないくらい従順で優しいんですよ」と売り込んできたもんです。馬書記たちは家に帰ると、おおかたの漢族男性とは違って「おーい、お茶!」タイプの亭主関白をやっているんだとはっきり言い切っていた。
この項つづく
<整備中の観光名所「石海」「民俗村」>
県立招待所へ行く途中、目下まだ整備中の観光名所に案内してくれた。それは積石山ふもとの「石海」「魯班石」そして「民俗村」だった。この山は、その名の示すとおり、斜面も山麓も河川敷も、至るところ大小さまざまな形をした石や岩が無数にゴロゴロと横たわっているのだ。これらの名所は、「大禹治水」や、成語「班門弄斧」で知られる「魯班」の伝説物語に因んでいる。なんと、古代伝説の夏王朝の始祖「大禹」の治水事業はこの眼前に広がる積石山を起点として始められたと言われているのだ。ガイドの人に言われて瞳を凝らして見ると、確かにゴロゴロ横たわる石や岩は山羊の太群に見え、それらが山腹に放牧中の本物の山羊の群れとよくマッチするから、私の目に不思議な景観として映った。西安の「碑林」、昆明郊外の「石林」の向こうを張ってここを「石海」と名付けたそうだが、率直に言ってやや迫力不足な感じは否めない。それはともかく、県内からもっと観光資源を掘り起こし、立派に整備して増収に繋げられたちと願うばかりだ。「民俗村」の方は、当県の主要な少数民族である保安族、サラ族などの風格や特色を生かしたモデル住宅や、蒙古パオに似た民俗小屋、土産品店、噴水池などから成り立っている。付近には養魚池があり、将来の釣堀客を当て込んでいた。夕食のもてなしを受けたそこの民俗小屋で、馬書記たちと中国カラオケで大いに盛り上がろうとは全く予想だにしなかった。
〈甘粛僻地の希望小学校訪問体験記2〉
地酒「禹王」の乾杯攻め
照明の薄暗い民俗小屋の中で開かれた夕食会は、地酒「禹王」の「双杯」式乾杯で幕を開けた。禹王は45度の蒸留酒で、「マオタイ酒」や「汾酒」と同じ「烈性酒」だ。
「双杯」とは文字どおり2杯を連続して飲み干す乾杯の仕方だ。3-40代の頃は、アルバイト通訳として中日交流界で、数々の酒席に立ち会ってきた私にとっても、この「双杯」スタイルは初めての体験だった。余談になるが、通訳というと、ただ相手の青葉をドンドン言い換える仕事と思われがちだが、たまにサービス請け負い業みたいなこともする。酒席で乾杯の「スタント・マン」になるのだ。通訳の雇い主があまり飲めない口の人やお年寄りの場合、その人の分を代わって飲み干すというサービスだ。しかし、これは例外的なケースで、いい通訳をやるなら、酒席、宴席では飲酒は禁物だ。分けても、わが中国民間の宴席はアルコール度が高く、酒豪が多いうえ、みな「徹底乾杯」の構えなのだ。平気で相手を酔いつぶすまで飲ませる者が多く、やり方が半端ではない。もちろん、これは歓迎の気持ちや友情をストレートに表現したもので、悪意はない。だが、うっかり調子に乗ってー緒に飲んでいると、しまいに頭の回転が悪くなり、通訳どころか、だんだんロレツすら回らなくなる。さて、目の前にいる少数民族の「兄弟」たちの乾杯攻めに臨んで、これはやるしかない!私は心の中でそう思った。こと少数民族の風習に関しては、素直に受け入れようと最初から覚悟は決めていた。いきなり目の前にお盆が差し出されて来た。幸い、お盆に載せられたミニタイプのワイングラスの容量は5、6C.Cくらいだ。見ると、その上には禹王酒をいっぱいに注いだグラスが4つ並んでいる。一瞬、4杯全部を自分が飲むのかと錯覚してしまった。すぐに、彼我2杯ずつだと気付くと、何食わぬ顔で乾杯を始めた。これはもうー種の儀式みたいなものだ。しかし、馬書記はじめ、7名ほどの「乾杯希望者」がつぎつぎと私を「表敬訪問」に来たときは、少し慌てたし、呆れもした。これではアルコール分解の時間が足りず、悪酔いしてしまうではないか!はてな、酔い潰れるまで飲ませるのが漢族スタイルだが、イスラム系の馬書記たちもその点もしや同じではと、あらぬことを考えているうちに、すでに最後の相手と儀式を済ませていた。「酒菜」の方は、完全にイスラム式みたいだ。ポッキーのようなうどん粉食品、手づかみで食する茹でた骨付き羊肉やワラビなどの山菜の妙め物だ。「麻辣」な味の料理はいくつもあったが、蒸し魚料理のほかは、塩味や醤油味のものがぜんぜん出て来ないのだ。食はいっこうに進まず、空きっ腹に飲み込んだ禹王の存在が不気味になってきた。
そこへ中国で流行中の「超級VCD」カラオケの登場となった。文化省推薦の正統派カラオケのせいなのか、見せられたー覧表には、私に馴染みの曲がたくさん入っていた。嬉しい限りだった。禹王のことは、いつの間にか、頭の中から消えていた。 |