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前身は、1898年孫中山(孫文)先生の提唱により、華僑自身によって子弟教育のための、広東語による「大同学校」「華僑学校」と寧波語(ニンポー語)による「中華学校」がつぎつぎと創立された。1923年の関東大震災で三校とも崩壊したが、華僑はすぐさま新山下の避難所で、今までの三校を合併して「広東小学校」を復興して教育を再開した。翌1924年には山下町関帝廟横に校舎を再建して、広東語による「中華公立小学校」がスタートした。 1945年の横浜大空襲で校舎はまたも消失し、戦後46年、華僑は生活が窮乏するなか、廃虚と化した町に、子供達のために校舎を新築し「横浜中華小学校(のち「横浜中華学校」)」がよみがえった。戦前に来日した留学生を教師に迎え、北京語での授業が開始された。 1952年、半世紀以上にわたって華僑自身によって建てられ運営してきた中華学校は、不幸にして外部の政治勢力の不当干渉によって、分裂を余儀無くされた。校舎を追われた9割の生徒と教師は、やむなく多くの華僑から提供された家屋や店鋪の一部を教室にして、中華街での“分散教育”を強いられた。一年にわたる子供達の不便さを解消するため、華僑は怒りを力に代え、資金を募り、53年9月山手町に校舎を建設し、1957年に校名を「横浜山手中華学校」と定めた。 現在は幼稚部、小学部と中学部に三百五十八名の生徒が学び、中国から招へいした 教師、日本人教師と華僑教師が一丸となって中国文化の伝承を柱に、日本文化をも 重視した国際性ゆたかな教育を推し進め、バイリンガルにして創造性を兼ね備えた人 材の育成を目ざしている。 |
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所在地:横浜市中区山手町43番地 |
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