横浜華僑通訊 最新2016年11月号より抜粋

目次:

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孫文生誕150周年  写真展・イベント開催

大使館で「錦秋交流の夕べ」

要明鶴、敬老会を開催

中国僑聯60周年  海外僑胞故郷行(上)

華文教育の「新たな100年」を目指して

小紅、運動会を開催

中国語なう

新・ハローワークの窓から

訃告




孫文生誕150周年  写真展・イベント開催

 孫文(孫中山)生誕150周年を記念して、その生涯を紹介する写真展「孫文 中国民主革命の偉大なる先駆者展」が横浜中華街大通りにある同発新館で開催中。入場無料、11月13日(日)まで。
 初日となる10月24日(月)正午、主催団体の代表、孫文生誕150周年記念行事実行委員会黄永健委員長・横浜市国際局関山局長と、上海市政治協商会議・上海孫中山宋慶齢文物管理委員会の代表と、孫文の孫の宮川東一さんが出席し、開会式とテープカットが行われた。
 会場には120点ほどの写真が展示されている。そのうち103点は上海孫中山宋慶齢文物管理委員会提供のパネルで、上海で今年開催された写真展に掲出されたもの。横浜市はこの展示を「横浜・上海友好都市43周年記念」と銘打ち、写真には中日両国語の解説が付いている。また、ハワイ在住の孫娘・孫穂芳さん提供の写真資料15点なども展示される。
 孫文は辛亥革命や三民主義で知られる。王朝体制に終止符を打ち近代をもたらした民族の英雄として、両岸で「国父」と称えられている。孫文が初めて横浜にやってきたのは1895年、「清朝打倒」を目指すも戦いに敗れ来日した。以来、亡くなる前年まで16回来日し、その間に横浜に延べ6年間滞在した。今の横浜中華街の一角に住まいを構え、華僑や日本人の支援者が物心両面から支えた。
 会期最終の11月12日(土)・13日(日)は歌や音楽のイベントが予定されている。霍暁君さんの二胡演奏、佐藤直子さんの太極拳演舞、AiMei(アイメイ)さんの歌のほか、広東会館倶楽部広東獅子団、横浜中華学校校友会国術団の獅子舞・舞踊、また茉莉花女声合唱団・黄河女声合唱団・華音混声合唱団の合唱などが披露される。
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大使館で「錦秋交流の夕べ」


 駐日中国大使館は10月13日(木)夜、大使館中庭で「第3回 錦秋交流の夕べ」を開催し、東京都および各区・市自治体や議会、日中友好協会、華僑華人代表らと交流した。
 程永華大使(上写真)・劉少賓公使・徐斌武官や大使館各部署の責任者、および東京都の安藤立美副知事・水越英明外務長、荒川区・港区などと、羽村市・三鷹市など21の区・市の区長・市長・議長のほか、東京都日中友好協会宇都宮徳一郎会長、在日華僑華人代表、在日中国企業代表らが出席、来日中の北京市外事弁公室の李輝副主任ら北京市の関係者も参加した。本会から朱銘江副会長、羅明珠理事兼事務局長、李悦事務局員が参加した。
 さわやかな秋風のなか、「十三夜」にあたるこの日、両国各界の友好人士が語らった。在日華人芸術家による楽器演奏や歌が披露され、会場は友好的な雰囲気に包まれた。


要明鶴、敬老会を開催

 広東要明鶴同郷会(陸佐光会長)は10月14日(金)、横浜中華街「均元楼」で敬老を祝う慶祝大会を催した。会員で65歳以上の寿翁159名中84名と、役員10名が一堂に会し、大いに盛り上がりを見せた。
 陸会長は寿翁に健康をしっかり管理するようあいさつし、65歳になった莫佐強理事の音頭で乾杯し、祝宴が始まった。続いて、横浜中華学校校友会国術団舞踊組の踊りや陸会長とのじゃんけんゲーム、寿翁に祝いの「紅包」が配られるなど、みなさん元気いっぱい楽しく過ごした。
 閉会の辞で夏建言副会長が会員の長寿を祈り、閉会した。
        (要明鶴同郷会) 


中国僑聯60周年  海外僑胞故郷行(上)
   ―変貌する肇慶を視察―  (一社)廣東同郷会副会長 朱銘江

 中国僑聯成立60周年を祝い、中国僑聯と広東省僑聯が共催する「海外僑胞故郷行―走進広東」の活動が9月22日に広州市で幕を開け、一般社団法人廣東同郷会は陸煥鑫会長を団長に、朱銘江副会長、李国松顧問夫妻、孔潔貞理事兼事務局長、胡偉良幹事の6名からなる代表団を組織し広東省を巡った。
 今回の活動は中国僑聯成立60周年を記念する活動の一環で、28日までの期間中に31の国と地域から105名の僑胞がふるさと広東に集い、新たな発展段階を迎えた広東の経済・社会の状況を視察し、故郷に対する思いを深めた。
 「端渓のすずり」で有名な広東省珠江デルタの西部に位置する肇慶市では、同市西南部にあり新しい行政の中心となる肇慶新区の建設の槌音が響く現場を視察した。
 2011年に始動し、計画では面積は115平方キロメートルに及ぶという。今はあたり一面の荒野であるが、初期段階の18平方キロメートルのエリアにはちらほら建造物が建ち始め、すでに街としての輪郭が現れつつあり、数年後にはここに新しい近代都市が姿をみせ、2030年には人口60万人の新都市が誕生するという。
 肇慶新区の北東方向には肇慶高新区がある。「高新区」とは「高新技術産業開発区」のことで、中国の行政区画である。国の産業技術レベルを引き上げることを目的とした特殊経済地域の1つで、現在、中国全土で53の「高新区」が存在する。「高新技術」とは「ハイテク」を意味する。
 肇慶高新区の位置するエリアは大旺華僑農場とも重なる。華僑農場とは、1950年代から70年代にかけて、中国政府が東南アジアからの帰国華僑を受け入れるために設置した国有農業企業で、現在、中国全土に84か所の華僑農場が、主に広東省・広西省・福建省など華南地域に分布している。
 大旺華僑農場は2001年に肇慶市大旺綜合経済開発区に指定され、肇慶高新区と一体化した発展の道を歩み始め、農業主体から先端ハイテク産業の拠点へと変貌を遂げている。
現在、高新区には外資を含む300社以上の企業が誘致され、飛躍的な発展を続けているが、それにあわせ肇慶の大旺華僑農場も華僑新城と呼ばれるようになり、帰国華僑らの住民の就職・住宅・教育・医療など多方面にわたる民生事業も改善された。
 われわれが訪問した肇慶華僑新城の社区居民活動センターには「僑之家」という看板が掲げられ、そこではベトナムからの帰国華僑とその家族(僑眷)を受け入れているが、ここには保育園から高齢者のデイサービスを提供する施設までがあり、老人らが悠々自適で余生を楽しむ光景が見られた。
 今回、肇慶では、長い歴史と文化を擁する山水の美を横目に新都建設の槌音が響く現場を視察し、日々発展を続けるこの街の新しい一面を垣間見た。
 肇慶視察を終えた後、「海外僑胞故郷行―走進広東」は9月28日までの日程で引き続き広東省内の陽江と佛山を巡ったが、私は25日に北京に赴き、中国僑聯成立60周年を祝う中央でのメイン行事に参加した。
        (次号につづく)


華文教育の「新たな100年」を目指して 92
中2生 中国へ修学旅行


 横浜山手中華学校中学2年生(69届)52名は10月12日(水)~21日(金)までの10日間の日程で、修学旅行で北京、南京、上海を訪れた。張岩松校長・羅順英教務主任・陳柏老師・中屋伶老師が引率した。
 最初の訪問地である北京では国務院僑務弁公室と北京華文学院の責任者の出迎えを受けた。そして、天安門広場、故宮、天壇、居庸関長城、頤和園の景勝地を巡った。また、中国人民抗日戦争記念館を訪ね、たくさんの展示物を通じて戦争の悲惨さ、および平和の尊さを学んだ。  生徒は北京広渠門中学を訪れて交流し、張校長は山手中華学校と北京広渠門中学の友好校の協定を結び、両校の今後の交流拡大を約した。
 滞在中、北京ダックや羊肉のしゃぶしゃぶ、北京ジャージャンメンなどの名物料理も堪能した。
 北京での日程を終え、17日、一行は高速鉄道で第2の訪問地である南京へ向かった。南京では中華学校とゆかりのある「国父」孫文先生をまつる中山陵を拝したほか、南京大虐殺遭難同胞記念館を訪れた。記念館では重苦しい雰囲気になるなか、生徒の心からは多くの平和を祈るハトが飛び立ったようであった。南京ではまた、古きよき時代を伝える「夫子廟」や、長江をまたぐ雄大な南京長江大橋を訪ねた。
 18日午後、一行は近代的な面とノスタルジックな側面をもちあわせる中国最大の都市である上海に到着した。上海で生徒は上海培明中学を訪問し交流した。また上海一の繁華街である南京路でショッピングを楽しみ、黄浦江の遊覧船に乗り両岸の夜景を満喫した。また、東方明珠塔・上海フォルクスワーゲン自動車工場を見学したほか、上海郊外の水郷の村「朱家角」を訪れた。
 10日間の日程はあっという間に過ぎ、生徒はたくさんの思い出を胸に修学旅行を終えた。
      (横浜山手中華学校)

熊猫幼稚園運動会開催

 熊猫幼稚園(黄偉初園長)は10月8日(土)、山手中華学校学校6階体育館で運動会を開催した。この日は天候の関係で屋内での開催となった。園児を応援しようと多くの保護者などが出席し、大いに盛り上がった。横浜華僑総会から楊文惠副会長が出席し激励した。
 園児らは組み体操、球入れ、綱引き、リレー競争などの種目のほか、学年ごとに踊りを披露したり、親子で協同参加する競技などに挑み、日ごろの保育で培った運動の成果を存分に発揮し、楽しいひと時を過ごした。       (熊猫幼稚園)


小紅、運動会を開催


 10月15日(土)、真っ青な秋晴れの空のもと、保育園小紅の運動会が、今年が最後の会場となる山下町公園で開催された。
 1人もお休みすることなくそろい、全園児を紹介できた。親子競技では仲よく手をつないで参加している楽しそうな笑顔を見ることができた。
 4月の入園・進級から半年が経ち、職員は日ごろの遊びや子どもたちの個性・成長を活かしたプログラムを考え、運動会の練習をとおして成長していく子どもたちの姿に感動し、保護者と喜びを共有してきた。
 本番では、たくさんのギャラリーに緊張しながらも一生懸命な子どもたちの姿を、保護者やおじいちゃん・おばあちゃんなどにも見ていただくことができた。温かい応援の拍手に子どもたちはとってもうれしそうだった。       (保育園小紅)


中国語なう 53
  北漂 beipiao
  意味:外地から北京に来て居着くこと(北京に生活する、北京
   戸籍がない地方出身者)
 「北漂」とは主に若者が地方もしくは外国から北京へやってきて居つくことを指し、彼らを「北漂一族yizu」と呼びます。
 「北漂一族」はなかなか安定した仕事につけず、アルバイトなどをして、貧しさに耐えつつ夢を追いかけて日々の生活をしのいでいる人が多いといわれてきました。
 1958年以来、中国の戸籍は農業戸籍と非農業戸籍に2分され、どちらの戸籍を持つかによって、受けられる権益や待遇は異なっていました。
 「改革開放」以降、多くの農村戸籍者が都市部に流入し、経済発展を底辺から支えてきましたが、この厳格な戸籍制度により、地方出身者は都市部で教育・医療・雇用・保険・住宅などの社会福祉分野で不利な立場に立たされてきました。
 北京市はいままで、地方出身の北京在勤者に対し暫定的な居留を許可する「暫住証」を交付していましたが、先ごろ、北京に居住する全流動人口を対象に、「暫住証」に代わる「居住証」の発行を始めました。
 「暫住証」と異なり、北京市の「居住証」所持者は公共交通・就労・社会保障・医療保険などで都市戸籍を持つ北京市民とほぼ同じ待遇を受けることができるようになるだろうとみられています。
 一方で市の関連部門は、「居住証」にもとづいて北京の資源・人口・雇用などの状況を把握することができるようになります。
 新制度の導入により都市戸籍所持者と農村戸籍を持つ地方出身者の格差の縮小が期待されます。
 哀愁漂う「北漂」という言葉も、いずれは廃れていくでしょう。


新・ハローワークの窓から 96
技術者
 外国から優秀な技術者を招聘して日本国内の事業所に派遣する会社がある。
 海外から来た彼らが勤務しているのはたいてい、海外向けのプラントなどを手掛ける会社で、社内ではすべて英語で仕事が進められている。
 彼らが、派遣期間の終了、または転職希望で離職することになったとき、在留期間がまだあるので続けて日本で働きたいと、ハローワークに来て雇用保険の手続きをする。
 雇用保険の手続きは、日本人でもよく理解しない人がいるくらいだ。ましてや日本語を理解しない人たちに行う雇用保険の説明は、英語など他言語の説明DVDを見てもらい、通訳員がいる日に補足説明をする。「認定日」も配慮され、通訳員がいる日にハローワークに来てもらう。
 私の担当する職業相談の窓口で仕事の検索の手伝いをするが、ハローワークの求人で、本人の技術を生かす英語のみでできそうな仕事は僅少で、ほぼ見つからない。見つかってもご本人に仕事の内容を説明できるのは通訳員のみなので、やはり長い時間をかけていくことになる。
 事業所側には「応募には日本語の履歴書が必要、英語しかできないと応募してもまず採用にならない」と言われることがしばしば。実際、採否通知に「英語の履歴書を送られても困る」とあったこともある。
 彼らはそこで初めて、日本で日本語ができないままで働き続けるのは難しいと知るのだ。
 実際、業務上英語が必要な事業所はある。しかし社内で同僚や上司とのコミュニケーション、国内の取引先とのやりとり、これには日本語が欠かせない。
 設計した工場やプラントが形になるまで、莫大な時間と金額がかかる。技術職として、すり合わせが必要。途中で間違いが起こることを防ぐには、やはり相互理解、コミュニケーションが欠かせない。
 紹介できる会社がないままに、失業給付の支払いが終わった人が数名いた。彼らはその後どうしたのだろう。自分の国で、日本での経験を生かせる仕事に就くことができていればいいのだが。
 ハローワーク横浜
 職業相談員 李 艶 薇


訃告
薛張珠宋女士(横浜福建同郷会役員薛長安氏ご母堂、福建省福清)16年8月28日逝去されました。享年96歳。通夜は9月1日、告別式は9月2日、山下町の「広東会館」において執り行われました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。