横浜華僑通訊

最新2020年10月号より抜粋

中華人民共和国成立71周年 中日国交正常化48周年

国慶節・中秋節 祝賀昼食会開く

新型コロナウイルスの影響で各種イベントが自粛、縮小される中、71周年を祝賀するささやかな行事として、10月1日正午、中華街大珍楼で華僑総会理事と各協力団体らの代表40名を招いての昼食会が開催された。
国歌斉唱に続き王忠福会長があいさつを述べ、来賓と各協力団体の活動が紹介された。続いて、中華人民共和国注日本国大使館の祝賀メッセージが披露された。
その後、70周年国慶節の収支報告がされた。
潘永誠校友会会長が乾杯の発声を行い、国慶と中秋の双節を祝う宴となった。
会場ではプロジェクターによる、王会長撮影の70周年北京国慶閲兵パレードの模様が映し出された。双節の祝として会場の大珍楼からは「大珍魚滑」、「焼味拼盤」から始まりアヒルの塩漬け卵黄を軟らかな餡で包んだ「流沙月餅」まで、珍貴な宴会料理が提供された。
朱銘江副会長による北京で迎えた昨年の70周年の思い出話と「365日後の72周年国慶節はみなさまとともに盛大に祝いましょう」との辞で閉会となった。

王忠福会長のごあいさつ

尊敬する各僑団リーダーのみなさま
親愛なる本会理監事のみなさま

本日は横浜華僑総会が主催する国慶節を祝う昼食会にお越しいただき、誠にありがとうございます。
本来であれば、より多くの僑胞の皆さまと日本の友人をお招きし、盛大に国慶節をお祝いするところですが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止の見地から、一連の慶祝行事の開催を見合わせ、本会理事会メンバーと、日ごろからお世話になっております協力団体のご責任者にお声がけをさせていただき、本日ここにささやかな昼食会を開催させていただきました。
わが祖国――中華人民共和国は本日建国71周年の国慶節を迎えました。また、折りしも本日は旧暦の8月15日、団らんを祝う中秋節にもあたります。この二つの祝日が重なるのはとても珍しく、中華人民共和国が成立した1949年10月1日以降、1982年と2001年の二回、そして今年2020年の国慶節が中秋節と重なり、新中国71年の歴史のなかでは三回目のことです。
「好事成双」という中国の言葉がありますが、慶び事が重なるのは大変におめでたいこととされております。ちなみに次に国慶節と中秋節がめぐり合うのは2031年になるようです。
今年は新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)のさなか、大変な時期ではございますが、こうして皆さまと一堂に会し71周年を迎えた国慶節と伝統的な祭日である中秋節をお祝いできますことはたいへんに有難く、またとても喜ばしいことだと思います。
さて、振り返ること366日前、2019年の10月1日、私は光栄にも北京にて中華人民共和国建国70周年の盛大な慶祝行事に参加する機会に恵まれました。あの一年前の晴れやかな光景を思い出しますと今でも大きな感動がよみがえってきます。
そして、私が天安門広場で壮大な軍事パレードと大衆パレードを鑑賞している時を同じくして、ここ横浜中華街では中国駐日特命全権大使孔鉉佑閣下をお迎えし、京浜地区の僑胞と日本の友人を交えた1500人が参加する空前の規模を誇る建国70周年を慶祝する大パレードが繰り広げられました。私はその情景をインターネットの中継を通じて天安門の脇の観覧席にてリアルタイムで鑑賞しておりました。
昨年、私は横浜の華僑を代表して北京にて国慶節をお祝いしましたが、北京に居ながらにして私の思いは横浜中華街にてパレードに参加されていたみなさんと共にありました。
ここで、改めまして私の留守を守っていただき、盛大に横浜の国慶節の諸行事を無事に成し遂げてくださった「70周年国慶節実行委員会」の陳宜華委員長をはじめ、ご尽力いただいたスポンサーのみなさま、すべての実行委員のみなさま、理事のみなさま、そして広範な僑胞のみなさまに感謝を申し上げたいと思います。
在此再次感谢大家的支持与合作!
われわれ僑胞の心は常に祖国とともにあります。本日、お集まりいただきましたみなさまにおかれましては、ソーシャルディスタンスを保ちながら、適宜交流を深めていただけいておりますが、365日後の建国72周年の際はぜひまた盛大に国慶節をお祝いしたいと思います。
結びにあたりまして、みなさまのご健勝とご多幸を祈念いたしまして、私のあいさつとさせていただきます。
中華人民共和国万歳!
中日両国人民友好万歳!
並祝大家身体健康!万事如意!
ありがとうございます。謝謝大家!

国庆贺词
中华人民共和国驻日本国大使馆

2020年9月吉日

同胞们、朋友们
2020年10月1日是新中国成立71周年华诞,也是万家团圆的中秋佳节。在此,谨向广大旅日侨胞致以诚挚的节日问候!
2020年是具有里程碑意义的一年,也是十分不平凡的一年。正当祖国人民满怀信心,决战决胜脱贫攻坚战,朝着全面建成小康社会,实现第一个百年奋斗目标奋勇前进之际,一场突如其来的新冠肺炎疫情席卷全球。面对这场空前的历史大考,党和政府团结带领全国各族人民,坚持人民至上、生命至上、同时间赛跑、与病魔较量,夺取了全国抗疫斗争重大战略成果!在此基础上,统筹推进疫情防控和经济社会发展工作,实现经济稳步复苏,各项社会事业加快发展,第一个百年奋斗目标全面建成小康社会将如期实现。
旅日侨胞素有爱国爱乡传统。在这场历史大考中,同样有包括横滨华侨总会在内的全体旅日侨胞的身影。疫情发生后,大家迅速行动,慷慨解囊,纷纷为祖国抗疫斗争捐款捐物,留下了许多感人事迹,为祖国抗疫斗争付出了辛勤汗水,做出了积极贡献!与此同时,侨胞们团结一心,守望相助,积极协助使馆做好有关工作,为解决侨胞实际困难,维护侨胞健康安全、侨界稳定做出了重要贡献。借此机会,谨向全体旅日侨胞致以崇高的敬意和衷心的感谢!
当前中日关系继续保持改善发展势头,特别是在抗疫斗争中,中日各界涌现了很多感人故事,为中日友好注入了新能量。在疫情依然肆虐的今天,各国发展面临更多挑战。唯有携手合作,才能早日战胜疫情,促进共同发展。我们愿与日方深化各领域交流合作,积极推动构建契合新时代要求的中日关系,造福两国和两国人民,为维护世界和平、促进共同发展做出积极贡献。希望旅日侨胞发扬光荣传统,在继续支持祖国家乡建设的同时,充分发挥沟通中日的桥梁纽带作用,为促进中日各领域交流合作做出新贡献!
最后,祝愿侨胞们国庆中秋双节快乐,阖家幸福!

中元節神事執り行われる

9月2日(水)大平台の中華義荘で中元節の神事が執り行われた。
一般財団法人中華義荘の関廣佳事務局長の司会で式は進行され、東田武雄(代表理事)の「皆さまのご協力により、休憩所の新築工事が順調に進み、基礎工事を終え、来年3月竣工となります」とのあいさつに続き、道士による読経、出席者による上香(焼香)が行われた。
華僑総会王忠福会長、横浜華僑商公会楊義誠会長、京浜華厨会所楊義智会長らが参列した。
中元節は旧暦7月15日(2020年は新暦9月2日)に設定された中華圏の人々にとって大切な祝日で、「三元」――竜王の孫三官大帝の誕生を祝う日です。
また、中元節は地獄の帝「地官大帝」の誕生日でもあり、霊魂を鎮める日=死者の日とも言われ、その霊を鎮めるために燈籠流しをして神を祀ります。
中元節の期間中はご先祖さまだけでなく、地獄の門から多くの死者の霊が入ってくると考えられています。そのためおめでたい行事や大きなイベントはタブーとされており、「引っ越し・結婚・入籍・旅行」などは好まれません。
また、悪霊がつくため「夜間の外出、洗濯物の夜干し」などの行為は禁忌(きんき)されます。

粤港澳大湾区参観旅行記(四)
横浜華僑総会 理事 楊仕元

前回までの記事の中で別稿扱いとした「三譚革命事迹展覧館」、「辛亥革命記念館」、「アヘン戦争博物館」の三カ所を詳しく紹介します。
11月10日午後、「三譚革命事迹展覧館」を訪れました。佛山市高明区にある「三譚革命事迹展覧館」は、この地の明城鎮に生まれた同郷・同族の三人の革命家、譚平山、譚天度、譚植棠を偲んで、1998年に滄江のほとりに建てられたもの。三人とも中国共産党創建期の重要人物であり、党建設、軍建設、統一戦線、建国などで不滅の貢献をしたものであります。
譚平山、譚植棠はともに北京大学に在学していた際にマルクス主義を受け入れ、「五四運動」および新文化運動に身を投じ、その後1920年、陳独秀に派遣されて広東へ戻り、広東共産党組織建設の準備に携わりました。譚平山はまた第一次国共合作時期の核心人物の一人であり、中国共産党駐中国国民党中央党団書記、中国国民党臨時中央執行委員会書記の任にも就いていました。中華人民共和国建国式典の際には天安門城楼の上にも立っていました。最晩年には病をおして国民党革命委員会第三回全国代表大会に出席し、国民党革命委員会中央副主席に選ばれていました。譚植棠は共産党の指導の下に一貫して広東で革命運動を推進し、10年に及ぶ長い闘病生活を経て1973年の盧溝橋事変の後には抗日闘争に加わり、抗日根拠地の建設にたずさわっていました。1952年春の三反運動で誤って処理され、汚名を着せられたまま亡くなりましたが、1979年に名誉回復されました。譚天度も主に広東で活動をしていましたが、一時期、香港や上海で党の地下工作にたずさわるとともに、南洋各地へ赴いて離散した共産党員との連絡をはかりました。この間何度か投獄されもしましたが、節を曲げることはありませんでした。抗日戦争勝利後、香港総督の代表と香港における中国共産党の地位などについて交渉を行いました。その後、香港で統一戦線工作に従事し、人民共和国成立後再び広東へ戻って党・政府の活動を続け、1933年に引退しました。
「展覧館」は建築面積300平米余の小ぢんまりとした二階建てで、100点余りの写真、資料がよく整理されており、われわれが訪れた際には数名の女子職員が迎えてくれ、二階でビデオによる紹介をしてもらいました。高明を祖籍とする同行メンバーのひとり(譚姓)が、自分の父親の辮髪を譚平山に切ってもらったのだと聞かされていた逸話を披歴したところ、女子職員らはイマイチ要領を得なかったのか、応対に苦慮していた様子でした。この地を離れた後になって、写真かなにかを提供してくれないかと注文があったと聞き及んでいますが、これは後日談になってしまいました。
11月12日(旅の四日目)、「辛亥革命記念館」を訪れました。この記念館は、孫中山が指導した辛亥革命活動を記念して建てられたテーマ記念館であり、広州市黄埔区の長洲島中部に建っています。長洲島は黄埔軍官学校の所在地であったとともに、ここには合わせて26カ所もの中国近代革命遺跡があります。記念館は石材建築で、外形全体が一枚の長方形の岩をかたどっており、西側と南側には浅いプールがあって、南の入り口からはプールを跨ぐようにして上に向かって斜めに長く伸びた歩道が(二階の)玄関に通じています。「共和之路」という寓意が込められているこの歩道は、幅12メートルもあり、南の壁にうがたれた口から真っすぐ上に向かい、所々に辛亥革命に身を捧げた烈士の銅像が立っていて、あたかもわれわれと一緒に歩いているようでした。気が付くと和服姿の女性像が一つあったので、その足元を見ると「秋瑾」と銘板が置かれてありました。やはりそうだったか!と思ったものです。重厚な石壁を抜けて歩道の尽きたところは豁然として明るく広がり、清王朝を覆し、曙光が差してきたことを象徴しています。そこには孫中山の銅像が立っていました。つまり道の最先端に立っていたのであります。中国の未来の方向に思索をめぐらしているように見えます。
同館は辛亥革命百年に当たる2011年に建てられたもので、建築面積約1万8千平方メートル。基本陳列に」共和新世紀を開く━━辛亥革命テーマ展」と」辛亥革命時期の広東名人展」が常設され、ほかに辛亥革命のテーマに関係ある各種の展示も時に応じて行われています。」テーマ展」は2階と3階に分かれ、九つの部分に分けて展示されています。」名人展」は1階に置かれ、「孫中山とその助手」、「革命志士」、「広東籍の各界代表人物」の三つの部分に分けられています。ここでは、2階の一部を見て回るにとどまりました。
その後、バスで東莞へ向い、「虎門林則徐記念館」、「海戦博物館」とともに三館が一体をなした「アヘン戦争博物館」へ、砲台跡を含めて全国重点文物保護単位に指定されています。博物館本館前には「林則徐像」、「虎門人民抗英群像」が立ち、南側には、かつて林則徐がアヘンを処分するために掘らせた「銷烟池」跡があります。館内では《林則徐の禁烟とアヘン戦争史実》を内容とする展示があって、アヘン戦争勃発の原因と経過を詳しく紹介され、「銷烟池」に使われた木の杭と板、林則徐の手書、英軍との戦いで使われた武器、鹵獲(ろかく)した英軍の銃や大砲などが陳列されています。
唐朝から清朝初年まで、アヘンは薬剤として存在していましたが、それを炙って吸引する風潮がはびこるに従い、危害甚大な麻薬になってしまいました。18世紀中後期以来、英国をはじめとする西側資本主義国家は貿易拡張政策の推進に力を入れるあまり、アヘンを中国市場の扉をこじ開けるためのドアノッカーとして、はばかることなく浴びせるように売りこみ、結果、社会を著しくむしばみ、中華民族の生存をも危うくするようになりました。元来、農本主義経済体制を取っていた中国では、外国との貿易で、英国の毛織物、時計、ナイフとフォークなど需要がなく、売れ行きがよくなかったのに対し、中国の茶葉、シルク、磁器、漆器といった商品は英国市場で(特に上流階級に)非常によく売れたものですから、貿易の決済に使われる銀が中国へ流れ、英国の貿易赤字が膨らんだ。そこで英国は、東インド会社を通じてインドでケシを栽培し、それからアヘンを取って中国へ売ることにより、銀を英国へ還流させたわけです。事の重大さに気付き始めた清朝政府は禁烟を決定、林則徐を欽差大臣として広州へ派遣し、処理に当たらせました。林則徐は、英国密輸商にアヘンの供出を命じ、その数量は2万箱余にのぼり、正味重量1,425トンにもなりました。その後、虎門の海辺に50メートル四方の池を二つ掘り、海水を満たした上で球状に固めてあったアヘンを細かくして投げ入れ、そのあと石灰を投入して撹拌すると、たちまち化学反応が起こって、水面が沸き立ち、もうもうと白煙が立ち昇りました。反応の終わった後の残さいは、引き潮の際に水門を開けて海へ流しました。1839年6月3日から、23日間かけてこれらのアヘンをすべて処分したのであります。この一件を根に持ったアヘン商人は、英国に出兵させようと政治家に働きかけ、ついに1840年6月28日、英国艦隊が珠江河口の封鎖にかかり、第一次アヘン戦争の火ぶたが切られたのであります。
アヘンの処分によく「焼却」したという言説がありますが、筆者は疑問を感じていました。燃やすのには炉や坑、空き地であって、池はありえません。次に、燃やせば白煙でなく黒煙が立つはずです。さらに、23日間も燃やし続けると、周り近所が迷惑します。嫌でもアヘンを吸わされることになり、中毒にならないまでも、強制的受動喫煙で、仮に今日ですと大騒ぎになるでしょう。水溶液中の化学反応であれば、「銷烟池」でスッキリ、サッパリします。
上述の展覧館、記念館、博物館は、中国近代史を学ぶのに極めて好適であったと、筆者は深く感じました。
(完)

改革開放40周年展覧館

華文教育の「新たな100年」を目指して 136

2学期の授業始まる

2020年度山手中華学校、2学期のオンライン始業式が8月24日に行われた。生徒たちは三密を避けるため各教室に分散して式にのぞんだ。
張岩松校長はあいさつの中で、「第一に、全校生徒が学校で学ぶ機会を大切にし、真面目に授業に参加し、一生懸命勉強してほしいと願い。第二に、流行の予防と抑制を継続し、長い戦いに備えることを皆に警告した。さらに、検温やマスクの着用、手指消毒、社会的距離を保つなどの予防策に加え、状況次第では再び学校を休校にしてオンライン授業を実施しなければならないことや、各種の学校活動が随時中断・調整・変更される可能性がある」と伝えた。
新小学1年生、中学1年生は体育館に行き、校長先生、学年主任、クラス担任の先生と集合写真を撮った。
(横浜山手中華学校)

中国語なう96

瘦肉精shòu ròu jīng
意味:(豚や牛などの飼料添加物として用いられる化学物質)ラクトパミン(莱克多巴胺=Ractopamine)の俗称。

今回取り上げた「瘦肉精」は、牛や豚の赤身の割合を増やす効果があるとされる化学物質ラクトパミンの俗称で、「赤身を増やす」ことから「瘦肉精」と呼ばれています。
この化学物質「ラクトパミン」の正式な中国語名は「莱克多巴胺(lái kè duō bā ān)」と言います。
日本ではあまり聞きなれない単語ですが、8月28日にアメリカの圧力を受け、台湾当局の指導者蔡英文が、「ラクトパミンを使用するアメリカ産の豚肉と、生後30ヶ月のアメリカ産牛肉の輸入を解禁する」と発表すると、島内ではラクトパミン残留のアメリカ産豚肉、輸入解禁に賛否の議論が沸きおこりました。
「瘦肉精(莱克多巴胺=ラクトパミン)」の安全性については、世界的にもいろいろな議論があり、日本国内では、畜産業者が肥育促進剤の使用を求めていないため、農林水産大臣による動物用医薬品の承認等が行われておらず、結果として使用が認められていないのが現状とのこと。
かつて、馬英九が台湾の指導者であった時代に米国牛肉の輸入を解禁しようとした際、民進党は、「民衆の健康をないがしろにするものだ!」として、反対の立場を取っていました。
台湾当局の農業・漁業・牧畜業の所轄機関、「行政院農業委員会」のトップである、陳吉仲は、自身のフェスブックに投稿し、「現在、台湾産豚肉の自給率は90%以上に達し、(中略)台湾の消費者が、ラクトパミンが残留する外国産の豚肉を食べる確率は、0.286%しかなく、非常に低い」と書き込み、ラクトパミンの「安全性」をことさらに強調し、輸入解禁に反対する意見の火消しに躍起になっています。
この蔡英文の発表を受け、最大野党国民党の江啓臣主席は、養豚業者を訪問して意見を聞いたのち、これは重大な「国家政策」であり、蔡英文に「立法院(議会)」で報告を行うよう要求する」と表明し、行政命令の方式で直接解禁し、議会での議論を受けないことに疑問を呈しました。
さらに、アメリカ産の豚肉は価格が台湾産に比べて低く、台湾の豚肉市場に確実に影響を与えると述べています。
養豚業者は、「台湾での養豚に必要な飼料は輸入に頼っており、このためコストが非常に高く、アメリカ産豚肉の全面的な輸入解禁は、台湾の養豚業に極めて大きな影響を与える、また台湾当局は域内の養豚業者がラクトパミンを使用することを禁止しており、二重基準は台湾の業者に不公平感をいだかせる」、と指摘しています。
台湾の代表的な消費者団体である「消費者文教基金会」は、食の安全を守るという立場からは、台湾当局がラクトパミン残留の安全基準を確実に実行するのかが重要だと表明したそうです。

準備中

横浜華僑総会

横浜市中区山下町126番地の1 中華大厦

TEL:045-641-8606

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FAX:045-663-1490