横浜華僑通訊

最新2024年2月号より抜粋

恭祝新年吉祥 横浜華僑総会 (学)横浜山手中華学園 横浜山手中華学校家長会 横浜中華学校校友会 廣東要明鶴同郷会 横浜福建同郷会 (一社)横浜華僑商公会 京浜華厨会所 (一社)横浜華僑婦女会 (一社)横浜華僑小紅の会 (一社)廣東同郷会 横浜中華倶楽部 日本福建経済文化促進会横浜分会 日本福建平潭同郷会 茉莉花女声合唱団 横浜中山郷友会 (順不同)
2024年元旦 「新年団拝」開催

 2024年元日午前、晴天に恵まれたこの日、本会2階会議室には正副会長、顧問、理事と会員などが参集し、恒例の「新年団拝」が行われた。
 午前11時、まず横浜中華学校校友会国術団による二頭の獅子が登場し、新年を祝福する華麗な舞いを披露した。続いて出席者は二頭の獅子を囲み記念撮影。その後、李悦事務局長代理の司会で「新年団拝」は始まった。
 まず、謝成發会長が新年の祝辞を述べた。謝会長は、横浜華僑総会が今後取組まなければならない中華大厦のリノベーションと会則の改訂の二つのプロジェクトについて触れ、理事らの叡智を結集して対処していきたいとの抱負を述べた。
 続いて出席者の最長老である梁啓成理事が乾杯発声の音頭を取り、参加者は祝杯を挙げ新年の到来を祝った。
 しばらく歓談したのち、謝会長引率のもと参加者の有志は、横浜媽祖廟に参詣し横浜僑界の安寧と発展を祈願した。
 その後、京濱華厨会所を訪ね新年のあいさつをした。同会では楊義智会長はじめ多くの幹部の出迎えを受け、新年を祝う水餃子などが振る舞われた。
 その後、大勢の初詣客が行列を成し大いににぎわう横浜関帝廟に到着し、一同で新年の発展を祈りさらなるご加護を願った。
 一行は続いて京浜三江公所を訪ね、陳鳳娣会長以下同会幹部らに親しく新年のあいさつをした。また、手作り上海餛飩(ワンタン)の温かいもてなしを受けた。
 最後に一行は廣東要明鶴同郷会を訪れ、陸佐光会長をはじめとする役員や同会の新年団拝に参加していた会員らと懇談し祝卓を囲み親しく交流した。
 新型コロナウイルス感染症の5類への移行後に初めて迎えた元旦に、往年の恒例行事である各僑団への年頭あいさつも従前の通り行うことができた。
 2024年は甲辰の年、登り龍の勢いに乗り良い年になることが期待される。

新年団拝
新春招待会に招かれる

 2月2日、中国大使館主催の「2024年旅日華僑華人新春招待会」が中国大使館で行われ、謝成發会長、曽德深顧問、各副会長及び理事多数が出席した。

新春招待会
県庁・市役所へ出向き 新年のあいさつ

 2024年1月4日(木)午前、仕事始めにあたるこの日、本会正副会長らは新年のあいさつのため神奈川県庁を訪れた。小板橋聡士副知事、首藤健治副知事、香川智佳子国際文化観光局局長など県の幹部に新年のあいさつをした。
 この日、謝成發会長、陳宜華、余凱、楊文惠、朱銘江、譚優矢の各副会長、張岩松理事(横浜山手中華学校校長)、潘永誠理事(横浜中華学校校友会会長)、李悦理事(事務局長代理)一行8名は、本庁舎3階の第三応接室に案内された。
 午前9時前、県庁本庁舎三階の第三応接室(貴賓室)で武井政二副知事など県の幹部が謝会長をはじめ一行の到来を歓迎し、親しく新年のあいさつを交わした。
 謝会長は年末年始の中華街の賑わいについて紹介したほか、長年にわたり県との協力事業である「あーすフェスタ」などの取り組みについても意見を交換した。
 また、同日午後、謝会長一行は横浜市役所を訪ね、山中竹春市長に新年のあいさつをした。山中市長は昨年横浜市と上海市が友好都市提携50周年を記念し、上海市陳傑副市長が来浜したことや昨年9月下旬に横浜市役所1階アトリウムにおいて、「上海ウィーク At Yokohama City Hall」が開催されたことに触れ、横浜華僑総会の協力に感謝の意が伝えられた。この日の会見は横浜市の城博俊副市長、国際局橋本徹局長などが同席した。
 横浜華僑総会と横浜市とは、中区民祭り「ハローよこはま」などのイベントを通じて長年にわたり交流を続けているほか、一昨年本会が主催した新春聯歓会には、山中市長よりビデオメッセージが寄せられた。

県庁にて新年のごあいさつ
県庁にて新年のごあいさつ
市庁にて新年のごあいさつ
市庁にて新年のごあいさつ
横浜華僑婦女会 新年会を開催

 1月28日、横浜華僑婦女会は4年ぶりの新年会を中華街・桂宮にて開催した。当日は、午前中に横浜でも久々の地震の揺れがあり、開会まで少々不安があったが、来賓含め総勢95名が欠席者なく参会され、昨年70周年を迎えた婦女会創立メンバーである康述英氏ほか、長老となられた会員も何人も出席してくれて、皆が久しぶりの再会に会場は熱気に沸き、おおいに盛りあがった。来賓を代表して公益社団法人日本中国友好協会・女性委員会委員長の田島孝子氏に祝辞を頂戴した後、横浜華僑総会会長謝成発氏に乾杯の発声を頂いて、なごやかにかつ賑やかに進行した。会場の桂宮さん、またハズレ無しの抽選会にご協力いただいた大勢の会員のご厚情に感謝いたします。 (婦女会)

横浜華僑婦女会 新年会 横浜華僑婦女会 新年会
劉燕雪老師に感謝する会

 2023年6月一般社団法人横浜華僑小紅の会総会において、理事長を退任された劉燕雪老師は、1967年から長きにわたり、小紅托児所、保育園小紅にて、心身ともに健やかな子どもたちの成長を願い、女性の自立を助け、幼き子に寄り添い、尽力された。
 その労をねぎらい、2023年10月7日(土)、「劉燕雪老師に感謝する会」が横浜華僑婦女会館の3階で開催されました。当日は小紅の会会員、元職員、劉老師と共に子育てに関わりの有った保護者や華僑団体の代表、そして現職員等27名が一同に集い、感謝状や記念品を贈呈し、歓談の機会を設けることが出来ました。席上、劉老師より「忘れ得ぬ人々」(全文下段に掲載)と題してご挨拶が有り、皆様の知らなかったエピソードなどを含め、歴史を学ぶことが出来、有意義なひと時を過ごした。 (小紅)

劉燕雪老師に感謝する会
忘れ得ぬ人々 劉燕雪 2023/10/7

 2023年10月7日
 (はじめに)
 みなさんこんにちは。感謝の会によんでいただきありがとうございます。
 感謝の会と言われても、やるべきことをやっただけ。皆さんに教えられ支えられやってきたので、感謝しなくてはならないのは私の方、感謝されるのは少々おこがましいと思っています。
 私は小学六年の時に学校事件を体験しました。記念すべき卒業式の記憶はありません。山手校舎で中学生生活を送りました。新中国のニュースを新聞や帰国日本人教師たちから聞き、祖国への憧れをもちました。アグネス・スメドレーの「偉大なる道」、エドガー・スノー「中国の赤い星」毛沢東の「為人民服務」等に感動し、自分の世界観を形成していきました。小紅の実践、婦女会活動、華僑総会、学校支援は、この世界観に支えられています。
 本日、「忘れ得ぬ人々」というテーマで、私を支えてくれた人、導いてくれた人を思い起し感謝の意としたい。

程貴老師
 女性たちのために学生寮の一室を提供して小紅托児所開所が叶いました。せまい寮、やりくり大変だったと思います。保育を担った楊順花、呉紀子、家長会の黄云英、柳東成、温さん、甘ポポたちの努力が今日につながっています。3名から始まり5名となり、子どもたちはスクスクと育ちました。程老師の女性たちへの支援に感謝しています。

大工の波多さん
 婦女会に移転してしたあと補修は大変でした。床を張り替え遊戯室に、舞台に畳みを敷いて午睡用に。波多さんは「先生、大丈夫。ちゃんと保育が出来るようにやってあげるよ。」と、支払いも待ってくれました。会館建て直しの時の細かい仕事もやってくれました。実は、いつ亡くなったかも知らず、お線香も上げす心残りです。

駐労会館のおじさん
 1975年二代目会館建設の時、駐労会館の2階和室をお借りしました。毎日、玄関受付からやさしい笑顔で子どもたちを見守ってくれました。この時、お昼は陸鈴子さんの台所で作らせてもらって運んでいました。午飯を作ってくれたのはポポ(柳杏蓮)。先生も子どももポポの午飯が大好きでした。ポポはその後も80過ぎるまで元気で働いてくれました。

福建同郷会と魏徳夫先生
 1975年の会館建設では計画から実行までお知恵を拝借し、お世話になりました。あの膨大な備品や書類は福建会館に置かせてもらいました。福建同郷会に感謝です。  婦女会の先輩として特に印象深いのは、何肖姻さんと梁宝珍さん
 何さんは、小紅が出来たときは現役を退いていましたが、時々小紅をのぞいて、「しっかりやりなさい」とエールを送ってくれました。何さんは学校の管理委員長として民族教育に献身しました。
 梁宝珍さんは第三代目会館建設時の会長。なかなか意見がまとまらない中、梁会長は私に「阿劉!サイロウコウ(子ども)は1階じゃないとダメだよ。老人は上でもいいよ。」といってくれました。このことは、私に力をくれました。夏の暑い日に二人で募金簿を持って中華街を廻りました。あの時、梁さんは持病のリュウマチで苦しんでいました。
 忘れてならない人、弁護士の宇野先生、長年横浜華僑総会の民事裁判でお世話になりました。
 小紅では、35周年記念文集に「子どもの権利条約」について分かりやすく解説してもらいました。「子どもの尊厳、一人ひとりの子どもの人権の尊重」という精神はいまの小紅の理念として受け継がれています。

黎明合唱団の日置先生
 黎明は日中友好を掲げ、中国各地で公演を行うなど、活発な活動を行いました。私たちが1978年にはじめた黄河女声合唱団は先生に合唱のノウハウを教わりました。合唱の楽しさ、厳しさ、難しさを教わりました。忘れられない先生です。

烏勒吉先生と王慶仁先生
 対照的なお二人。同じ中国の留学生です。運命のいたずらか共産党と国民党の頭になりました。私は烏老師の教え子で小学5年から2年間担任でした。会館の二階に総会があった時は色々お世話になり、子どもたちをよく可愛がってくれました。生涯華僑の子弟の教育に献身しました。烏先生はご自分の遺産を教育事業に残してくれました。小紅もその恩恵に浴しています。忘れられない大切な人です。
 王慶仁さんは初め憎しみの人。晩年は最も尊敬した老師です。私の気持ちは編集誌「関帝廟」に王老師を偲んで書かせていただきました。

呂行雄、黄偉初、曽徳深
 このお三方と私は6届生の同級生です。幼なじみで共に机を並べ、長じては横浜の華僑社会で共に働きました。
 呂さんは萬来軒を経営し、馬偉鴻会長のあとを継いで横浜華僑総会の会長になりました。
 双方が協力し実現した関帝廟の落成式では壇上に立ち、高らかに団結の成果を訴えました。その晴れやかな姿は今も私の瞼に焼き付いています。
 黄偉初は音楽の道を断念、生涯を民族教育に献身しました。教育改革を通して中華学校を低迷から隆盛へ盛り上げていきました。60年代70年代「招生の困難な時代」、小紅は貢献したと思います。遊芸会で歌劇「果園姐妹」を一緒に演じたのも青春の楽しい思い出です。
 曽徳深で忘れられないのは2000年の婦女会館建設への貢献です。婦女会内部で5年にわたる議論で行き詰っていたとき、横浜華僑総会に入ってもらい、建設委員会が組織され、一つひとつの課題を解決し、今日の会館が出来上がりました。一階を子どもたちのために使うか、お年寄りのために使うかという出口のない議論も「エレベーターを設置しよう」という提案で解決しました。2階建てか3階建てかの議論も「会員だけでなく広く華僑の為に活用」できるようという提案で3階建てが実現したのです。
 23年経ったいまも婦女会館は美しく、暖かく、心の和む会館であることに変わりはありません。曽さんには小紅の法人化、婦女会の法人化でも手取り足取り教えて頂きました。私たちはどうも法律面に関して頭が働かない傾向が有る様です。
 私を含め、この4人は「民族教育の申し子」と馬広秀老師がその著書で書いています。

 最後に感謝したいのは、「小紅に携わったすべての保育者のみなさんと「小紅」を支えたすべての母親たちです。信頼で繋がった人々、一番忘れられない方々です。
 60年代から80年代にかけて保育に携わった保育士の于世燕、呉紀子、張香代子、陳碧蓮、許麗珍、張作蓉、井上先生、美樹先生、符美和、武井先生、肖老師などなど。専門職でないメンバーも含めて、心を一つにして子どもたちのため保育をして小紅を支えてくれました。于世燕、呉紀子は保育大学で学んだので専門知識は豊富、お二人から多くを学びました。現在は認可保育所として張愛玲理事長をはじめ、于美恵子園長を中心に職員の皆さんが頑張っています。特にこの三年はコロナ対応で試練が続きました。今後時代は変わりますが、小紅の「接班人育成」という目標と子どもの幸せを目指す保育理念は変わることはありません。
 忘れられないのは小紅の保護者、母親たちの支えです。開園当初は李香玳、楊順花、周豊子、張三妹、陸鈴子、繆桂馨、鮑国和(父親)が支えてくれました。園の財政を助けるためバザーをやりました。謝喜美、林真喜子、林敏枝、小林瑞江、小林恵子、謝里美、羅明珠たちが後に続きました。
 特に母親たちが力を発揮したのは2001年会館が落成した年、市の許可が定員30名で、大班の13名は定員オーバーで許可しないという事態に。そこで、母親たちのパワーを発揮、譚家をお借りして別室での保育を実現しました。母親たちが園を支え、保育園が子育てを保障し、母親が安心して仕事をするという深い絆です。
 中華学校の宿舎でうぶ声をあげた托児所、中華街に移り婦女会館という揺籃で育ち、認可保育園として再び母の翼(学校)に帰った保育園小紅の歩みは56年にわたる私の活動の歩みと共にあります。

第二届高明懇親大会  横浜華僑総会理事 黄巧玲

 廣東要明鶴同郷会では、2023年11月に高明僑聯の招へいを受け、第二届高明懇親大会に17名の参観団で参加した。
 コロナ禍以降、日本パスポートの場合は、ビザが必要な上、華僑の初めてのビザ申請には色々追加の資料が必要で、以前は日本パスポートに比べて不便に感じていた中国パスポートの私たちは、初めて自分たちのほうが楽だと感じる珍しい出発準備となった。
 前回2018年の第一届は全球高明懇親大会という大規模な名称がついていたが、今回はおそらくコロナの影響で帰国がかなわない国もあり、全球がとれていた。それでも、アメリカ、カナダなど世界各地から大勢集まり、私にとっては前回顔見知りになったマカオなどから来た青年たちとも再会でき、また新たに知り合いもでき、盛大かつ楽しい大会であった。
 高明区は荷城、楊和鎮、明城鎮、更合鎮の4つの地区で形成されている。横浜には明城鎮出身者が多い。前回明城鎮を訪れた際は、高明の英雄・譚平山を含む三譚記念館で感動したが、現在三譚記念館は改修中で、それとは別の場所に譚平山故居が整備されていた。また、三譚記念館のすぐ脇の東門圩という街区が古い時代の町並みを再現した観光スポットとして開発されていた。特筆すべきなのが、その東門圩の中に僑胞之家という建物が建てられているのだが、その中がなんと1989年ごろから2018年までの横浜の要明鶴同郷会と同郷会会員が関連した横浜華僑界、中華街の写真とその説明や故郷への貢献や訪問の写真とその説明、歴史年表で埋め尽くされていたことである。同郷会の役員だけでなく、私の同級生が大学生の時に故郷を訪れたことが写真とともに紹介されていたり、本当にビックリした。日本の華僑の紹介だけで、他の国の華僑に何か悪い気がする、と現地の人に話すと、日本の華僑は早いうちから故郷への支援、貢献をしてくれたので当然よ。と話してくれた。今回の訪問はコロナが5類になってから日も浅いうちの招へいであったため、同郷会では当初、不参加の意見が多数であったが、僑胞之家に案内され、つくづく来てよかったと感じた。これからもできるだけ多くの同郷会員や家族に、是非訪れていただきたいと思う。
 旅行には少なからずハプニングやトラブルが起きるが、今回いくつかあった中で、一番ひやひやしたのが、高明から順徳へバスで送ってもらった時のことだ。私たちの団は香港経由で日本へ帰るため、順徳から船に乗って香港に出るルートを選んだ。バスの出発が少し遅れてやきもきしていたが、順徳港の標識が見えた時はまだ時間に少し余裕があった。ちょうど周辺の道路を新しく建設しているようで、標識が導いた道路は土手に臨時にアスファルトを敷いた感じの車がすれ違うのはちょっと厳しめの一本道であった。他にほとんど車がないので、これで間に合ったと安心して前を見ていたら、なんと道路の先にそう頑丈でもないゲートのようなものがある。おそらく車高制限のためのゲートなのだが、そこまで来たら、バスの車高がそれより高く、下をくぐれない・・・万事休す、まさかここで降ろされてスーツケースもって走らなきゃいけない?と頭をよぎったのだが、運転手さんがバスをバックさせ始めた。何せ土手の上の細い一本道である。Uターンする場所もなく、元きた道をひたすらバックさせてこのう回路のような一本道に入った場所まで戻った。先ほどは車なんていなかった道に後ろから2台くらい車が来て、どうなるかと思ったが、なんとかすり抜けられた。運転手さんの技術に心から感謝した。が、そもそも港への道は工事中で他の方向への標識もない。本来高明に一日長く滞在する予定の理事が順徳まで見送りのためバスに同乗していた。彼は国内で使用できるスマートフォンを持っており、広東語もペラペラなので、スマホで地図を出しながら、運転手さんとこっちだ、あっちだと会話しながら、道を探してくれて、最後には、なんと工事中で右折可能な車線がない道路を右折してくれた先に、とうとう順徳港のロータリーが見えた時には心底ホッとした。こちらはもう時間が気になって気が気ではなかったが、二人が非常に落ち着いて道を探してくれていたのでパニックにならずに済んだ。彼が見送りに来てくれていなかったらと思うと、もう感謝しかない。到着した時、確か出港時間まで30分か40分ぐらいであった。全員分のチェックイン用のQRコードを持っていた私はチェックインカウンターに走った。中国の鉄道や船は乗車や乗船をしない人は建物そのもの、あるいはホームに入れないので、後ろを振り返るとドアの外で恩人が手を振ってくれていた。私は大声で「ありがと~~!」と叫んで手を振った。チェックインカウンターの人は「急がなくて大丈夫だよ」ととても優しかったが、その後まだハードルが残っていた。
 中国に入出国する際に、なぜだか長々と質問をされたり、控室から係ではない人まで出てきたりして、なかなか通してもらえない感じのする経験はありませんか?中国の出入国審査官からすると、中国生まれでもなく、彼らから見ればどう見ても日本人に見える人間が中国パスポートを持っているので、単に謎に思えたり、珍しいからだと思っていた。
 チケットをもらってホッとしたのも束の間、今回も出国審査で手こずった。何せ中国パスポートと日本パスポートを持っている人間が混在していて、広東語はあまり使えず、北京語を少し話せるグループが来たので、案の定、審査台の横の事務室から次から次へと職員が出て来て、並んでいる私たちのパスポートを見て色々聞いてくる。一人に聞いて、じゃ皆さんどうぞ、とは言ってくれないので、最後に並ぶ私はそれぞれの質問と回答がちょっと違う時は後ろから「違う、違う」と訂正をする。私のところにラスボスのように最後に部屋から出てきた偉いに違いない女性が質問に来た。何をしに来て、どこに行くんだとか、中国語がうまいね、子供はいるのか?とか、子供にも中国語を習わせたほうがいいよ、とか、それで高明はどうだった?よかった?とか。まぁよく聞かれる質問を一通りしてきて、最後に、ちょっとハッとする質問を彼女はしてきた。まず、「これは私の興味本位で聞くんだけど」と前置きした後で、「私たちは日本の出国ではスタンプを押さないと聞いているんだけど、なんであなたのパスポートにはあるの?」と。私はそんなの私に聞いてもわかるわけないじゃない、日本の出国審査官に聞いてよと心で思いながら、出国の時に在留カードのある方はあちらに行ってください。と一般の人が通る機械のカウンターではなく、人が対応するカウンターに案内されて、出国のスタンプを押されたことを思い出した。私自身は日本パスポートに出国スタンプは押されないということを知らなかったので、それまで何とも思っていなかったのだが、彼らにしてみたら、国家間の事務連絡のようなものと違うものを持ったレアケースな輩がグループで現れたので、不法や偽造でないかどうか、色々な角度から確認する必要があったに違いないと思う。とはいえ、私は「わからないわ。在留カードを持ってる人間はあっちと言われて行ったら押されただけだから」としか答えられない。とりあえず、それで納得はしてくれたみたいでよかったが、えらく沢山答えた割には、それは単なる立ち話的聞き取りであって、出国審査はその後にカウンターで受けたのであった。何のための質問だったのよ~とつくづく思った。今後はぜひ私たちのように在留カードを持っている中国パスポートは、出国の際に出国スタンプが押される。と引継ぎしておいてほしいとも思った。
 船の出港時間ギリギリに乗船でき、1時間50分の香港までの旅は快適だった。途中周りにまったく陸地が見えない海の上にものすごい長い橋が建設中で、まだ橋ゲタだけの部分もたくさんある。大きさに圧倒されたが、全く陸が見えないこの辺で車にトラブルが出たらすごく嫌だな、とも思った。
 次回、第3届高明懇親大会は5年後。その頃には、私の祖父の実家あたりに建設中の新しい空港ができているはずである。今度はぜひもっと沢山の会員たちと世界中の高明人とともに「我愛高明!」を分かち合いたいと思う。

高明区僑胞之家前で
高明区僑胞之家前で
高明から世界に輸出されている海天醤油の工場見学
高明から世界に輸出されている海天醤油の工場見学
「龍行龘龘 前程朤朤」

廣東同郷会4年ぶりに新春聯歓会 二十歳を迎えた会員子弟らを祝福

 2024年1月20日正午、辰年の到来にちなみ「龍行龘龘 前程朤朤」(*注)をテーマに掲げた一般社団法人廣東同郷会(陸煥鑫会長)主催による「2024新春聯歓及び成人祝賀会」が横浜中華街ローズホテル横浜にて盛大に開催された。
 この日の祝賀会には中国大使館から趙鋼参事官、王宝鋒一等書記官兼領事、史旭光一等書記官兼領事、香港特別行政区政府駐東京経済貿易代表部謝智浩副代表をはじめ、京浜地区の僑団や友好団体の代表などが来賓として招かれ、同会会員と家族らと合わせ、総勢約300名が32の宴卓を囲み、文字通り一堂に会して盛大に新年の到来を祝った。横浜華僑総会からは謝成發会長が招かれ出席した。
 祝賀会は同会の朱銘江副会長が司会を務めた。
 冒頭、あいさつに立った陸煥鑫会長は、コロナ禍を経て四年ぶりにこうして多くの来賓と会員、そしてその家族らが元気に集まり新年の到来を祝うことができたことは大変喜ばしいことだと述べるとともに、今年度二十歳を迎える会員子弟が六名いることが紹介された。
 続いて来賓を代表し、中国大使館の趙鋼参事官が登壇してあいさつし、廣東同胞が長きにわたり中日間の友好交流に尽力してきたことに感謝するとともに、新たな年を迎え新たなチャンスとチャレンジを目の前にし、同胞と僑胞の皆さんが引き続き手を携え、さらに前進し、友好の伝統を継承し、中日関係の改善に力を尽くそうと語った。
 来賓あいさつに続き、この日の祝賀会に参加した今年度二十歳を迎えた会員子弟が紹介され登壇し、陸会長より会が用意した記念品が贈呈された。
 続いて廣東要明鶴同郷会名誉会長で廣東同郷会顧問の夏東開氏が乾杯の音頭を取り、来場者とともに祝杯を挙げ、新年の到来を寿ぎ、皆の健勝を祈った。
 乾杯と同時に、横浜中華学校校友会国術団による二頭の獅子が銅鑼と太鼓の賑やかなリズムに乗せ登場し、来場者に幸運をもたらす舞いを披露した。そして場内を一巡した二頭の獅子は中央ステージに向かった。
 壇上では陸会長と徐永賛副会長が、先端に「生菜(レタス)」と「紅包」をくくり付けた竿を手に持ち、獅子舞いが「採青」するのを待った。
 二頭の獅子は「生菜と紅包」に飛びつき、見事に「採青」は成功した。
「採青」とは獅子が「青菜を付けた紅包」をくわえ取って食べる事を指し、「採青」をしてもらうと沢山の幸せが訪れると言われている。
 廣東で「採青」に用いる青菜は特にレタスが好まれ、これは「生菜(レタス)」が「生財(財を生む=金持ちになる)」に通じる大変縁起の良い野菜とされるためで、新年に舞う獅子が「紅包」を捉えてから「生菜(レタス)」にかぶり付き、その砕片を振り撒くことによって新年に財運を得ることが叶うとされている。
 獅子舞に続き、廣東同郷会の演芸サークルのメンバーらによって余興のプログラムが披露された。まず、新年に廣東で広く歌われる廣東語の楽曲である「祝福你」のリズムにのせた軽快な踊りが登場した。
 続いて、この日のために特別にかけつけた在日の著名な声楽家孟繁傑さんが「万疆」を、劉子真さんが「見上げてごらん夜の星を」などの名曲を美しい歌声で歌唱した。演芸余興のラストは「明天会更好」の大合唱がトリを飾った。
 午後二時過ぎ、廣東同郷会符順和副会長が閉会の辞を述べこの日の聯歓会はお開きとなった。
 廣東同郷会ではコロナウイルス感染症の5類感染症への移行を受け、昨夏の会員大会より各種行事を順次再開している。今年の三月には四年ぶりとなる熱海を目的地とする温泉旅行会を計画している。

(*注)【龍行龘龘 前程朤朤(lóng xíng dá dá qián chéng lǎng lǎng)】は、2024年の幕開けにちなむ「辰年」の祝福の言葉。【龍行龘龘 前程朤朤】この二つの言葉はいずれも中国の古典由来の珍しい漢字を使った表現で、「龍のように勢いよく飛び立ち、飛躍して輝かしく明るい一年となるように」との願いが込められている。「龘」は勢いよく飛び立つ龍の姿を表す字。「朤」は「朗」の異体字。

新成人を祝福する陸会長
要明鶴同郷会 新年会を開催

 廣東要明鶴同郷会(陸佐光会長)は2月7日(水)に中華街大珍楼に320名の会員を集め4年ぶりの新春聯歓会を開催した。
 要明鶴青年部の譚優矢さんと莫梅婷さんが日本語、広東語で司会をつとめた。
 20~22歳の成人が順に紹介され、陸会長から祝福された。
 横浜中華学校校友会国術団舞踏組が「共度好时光」・「汉代袖舞」のめでたい2曲の踊りを披露した。
 会員子弟による南方獅子舞が始まると腕に覚えがある先輩たちが次々と飛び入りで太鼓を叩き祝宴を盛り上げた。

新成人を祝福する陸会長
新成人を祝福する陸会長
獅子舞の太鼓を叩く謝華僑総会会長
獅子舞の太鼓を叩く謝華僑総会会長
華文教育の「新たな100年」を目指して 170
中二生徒 修学旅行へ

 2023年12月12日から15日までの3泊4日で、本校の中学二年生66名が、鄭民財、荊秀娇老師と各担任の老師の引率のもと、関西へ修学旅行いった。
 京都駅から最初の目的地の奈良へと行き、古都を訪ねる旅に出た。奈良は小さな町だが、いたるところに仏教寺院や神社があり、豊かな文化に満ちている。世界最大の木造建築として有名な東大寺(大願成就院)へも行き、寺院の古くて精巧な建築を感じ、仏教寺院の厳粛さと静寂を体験した。
 2日目は、「千年の古都」として知られる京都を訪れ、グループに分かれて日本文化の象徴でもある高円寺(金閣寺)、清水寺、伏見稲荷大社を訪れた。あるグループは嵐山公園で周恩来総理の詩をグループで鑑賞した。3日目は、大阪にある映画をテーマにした「ユニバーサル・スタジオ」。 ここで生徒たちは、様々な施設やゲームプログラムを体験し、楽しさと笑いの中で青春の情熱を発散させた。 (山手中華学校)

奈良 大華厳寺での合影
奈良 大華厳寺での合影
小紅 おゆうぎ会開催

 12月23日(土) 保育園小紅のおゆうぎ会が行われました。元々12月9日(土) に予定していましたが、体調不良の園児が増えたことから日程を変更して行いました。それにも関わらず、当日は発熱などのためお休みする園児がおり、36名全員で参加することはかないませんでした。
 遊びの中で獅子舞の練習に取り組んできた2歳児クラスの子どもたちは、当日、太鼓のリズムに合わせて全身を使い、しっかりと演じ、自己紹介「你是誰」や歌も、一人ひとり精一杯表現していた姿が印象的です。おゆうぎで着用した衣装は、今年初めて新調し、力強いカンフーと桃源郷をイメージした優雅な踊りを合わせて披露しました。
 1歳児のお友だちは、歌うこと、踊ることが大好きなクラスです。本番では緊張しながらも一人ひとりの個性がうかがえる姿が見られ、軽快な音楽に合わせて元気いっぱいに歌ったり踊ったりして会場を大いに盛り上げてくれました。
 0歳児クラスは、6名全員で参加することができました。大勢のお客さまを前に、大きく崩れることなく保育者に見守られながら舞台に立つことができました。
 保護者の皆さまからのたくさんの拍手は、子どもたちにとって大きな励みになったことでしょう。子どもたち一人ひとりの成長を保護者の皆さまと共有でき、とても有意義な一日となりました。 (園長 于美恵子)

保育園小紅のおゆうぎ会
教師家長新春聯歓会 開催

 教師家長新春聯歓会1月13日(土)横浜山手中華学校家長会(譚優矢会長)はローズホテル横浜で新春聯歓会を開催した。開会の挨拶で譚会長は来賓としてお越しになった各僑団へ日頃よりの家長会と学校への協力に対して感謝の言葉と教職員に対して引き続き学生1人1人と向き合い成長を見守って欲しいと述べた。今回は過去最多の194名が参加し、クラス毎に分けられた各テーブルでは老師と家長が大いに盛り上がり有意義なひと時を過ごした。祝宴の結びに恒例の学年別の記念撮影と会場全体に大きく輪をつくり全員で校歌を合唱して盛況の中散会となった。 (家長会)

中国語なう 126

 「科目三」kē mù sān
意味:TikTok等の動画で流行している軽快なダンス

 最近TikTokで流行っている「科目三」ダンス。「科目三」という語はもともと中国の運転免許試験場での用語の一つでした。
 今回取り上げた「科目三」または「広西科目三」とも呼ばれますが、これは、広西チワン族自治区で誕生したダンスのことで、ネットで人気を集め、海外でも大きな話題となり、TikTokやYoutubeといった動画共有サービスで「kemusan」や「科目三」というハッシュタグがついた動画は驚異的な再生回数記録しているそうです。
 「科目三」ダンスはリズミカルな音楽に合わせて、体をくねらせながら踊ります。そしてその動画を見た人がそのリズムを耳にすると、思わず一緒に踊りたくなる衝動に駆られるようです。
 では、なぜ「科目一」でも「二」でも「四」でもなく、「科目三」になったのか?
 中国では、運転免許を取得するためには、「科目一」から「科目四」までの4つの段階の試験を受ける必要があり、中でも「科目三」は最も難易度が高い実地運転試験のことで、合格率が低いことでも知られています。また、広西チワン族自治区の人々は人生において「山歌(民謡)を歌う」、「米粉(ビーフン)を食べる」、「ダンスを踊る」の3つの「試験」に合格しなければならないのだそうです。
 「科目三」ダンスは、広西チワン族自治区で開かれたある結婚式で、多くの参加者が歌ったり踊ったりするシーンの動画が話題となり、そのダンスの難易度が高かったことから、運転免許試験の「科目三」になぞらえこう呼ばれるようになったそうです。
 2023年の大晦日には、遼寧省瀋陽市の太原街で「科目三」ダンスを最多人数で踊るギネス世界記録挑戦イベントが開催されました。オンラインとオフラインで大勢の人々が同時に参加し、ギネス世界記録公式認定員が世界記録を認定したそうです。
 もともと広西チワン族自治区で開かれた結婚式の余興から生まれた「科目三」ダンス。ネットでバズり、中国全土のネットユーザーがこのダンスを踊り、投稿するようになると、この現象を海外のメディアも注目するようになり、東南アジアを中心に有名になりました。
 広西発の「科目三」ダンス、中国を飛び出し今後世界のほかの地域でも流行するのではないかと一部では言われています。

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