横浜華僑通訊

最新2020年7月号より抜粋

横浜・神戸両中華街が厄払い獅子舞

新型コロナウイルス終息と街の復興を願い、厄払いや福をもたらす象徴である獅子舞の演舞を県外移動の自粛が解除されたことを受け、6月21日15時、横浜中華街発展会(高橋伸昌理事長)と神戸南京町商店街振興組合(曹英生理事長)がそれぞれの街で同時刻に合同で披露した。
「きょうは、以前の6、7割の人出だが都道府県をまたいだ移動の自粛が緩和されたばかりとしては上々の滑り出しだ。ウイルスへの感染予防対策をとりながら一歩ずつ着実に復興に向けて進みたい」(高橋理事長)
今回の催しは「密集を避けるために事前告知は行わず、それぞれの演舞をインスタグラムでライブ配信することで、両中華街の演舞を同時に多くの方に見ていただけるようにした」(曹理事長)。
横浜中華街では善隣門と朝陽門で計6頭の獅子が約10分間、神戸南京町では2頭の獅子が約7分間の演舞を披露した。
朝陽門で4頭の獅子で演舞した横浜中華学校校友会国術団(謝明華団長)は今回のコロナを意識し、特別にあつらえた「同心戦疫」と「命運与共」の垂れ幕を掲げた。

神戸南京町での獅子舞

横浜中華街朝陽門での国術団の獅子舞

横浜華僑総会 人事のお知らせ

1988年7月より横浜華僑総会事務局に勤務してまいりました羅明珠事務局長が6月30日を持って定年退職となりました。
後任には谷口水生(35届横浜山手中華学校卒業生)が7月1日より事務局長に就任することをお知らせいたします。
写真は6月18日に開かれた本会理事会の席上で、「栄休之喜」のメッセージが入った花束を贈呈される羅局長。

中国衛星「北斗3号」打ち上げに成功
「中国版GPS」独自測位システム完成へ

新華社などによると、中国は6月23日、衛星測位システム「北斗衛星導航系統」を構成する35基の衛星のうち、最後の「北斗3号」を打ち上げ、衛星が予定の軌道に投入され、打ち上げ任務は成功した。四川省にある西昌衛星発射センターが発表した。
「中国版GPSを統括する中国衛星導航システム管理弁公室によると、23日午前9時43分(日本時間同10時43分)に四川省の発射センターから、「北斗3号」で最後となる55基目の衛星が打ち上げられて軌道投入に成功した。
「北斗」は1994年にシステム開発に着手し、2000年に最初の衛星打ち上げに成功した。11年末に民間へ開放し、12年から中国と太平洋諸島地域を対象に位置情報の提供を始めた。18年末から対象地域を全世界に拡大している。
「北斗3号」はこれまでに打ち上げた55基の中から最適な35基を選んで運用する仕組みで、これは米国のGPS(全地球測位システム)の31基より多く、民間向けのサービスでは最も細かいところで、10センチメートル単位での計測できるという。GPSの民間向けより細かいとしている。
測位衛星は陸上の車両や海上の船舶に加え、スマホによる人の位置を特定することができる。
米国は78年に最初のGPSの衛星を打ち上げ、00年に民間でも使いやすくした。中国も当初は米国のGPSを活用していたとされる。
「北斗衛星導航系統」は、米軍が運用するGPS依存からの脱却を目指し、中国が推計100億ドルを投じて1990年代から独自に開発を進めている。
中国のみをカバーする「北斗1号」は2000年、アジア太平洋地域をカバーする「北斗2号」は2012年に打ち上げられた。「北斗3号」の打ち上げにより、独自の全地球測位システムが完成することとなる。
今回の「北斗3号」を打ち上げ成功によって中国は同分野での脱米国依存を進める。すでに、国境や海上の警備などに使う車両や船舶などは「北斗」を利用しているとされる。中国が推進する広域経済圏構想「一帯一路」の沿線国のインフラ建設にも「北斗」のサービスは使われていて、すでに120カ国に輸出実績を持つ。
中国で販売しているスマホの70%以上で「北斗」の信号を受信できる。中国メディアによると、華為技術(ファーウェイ)、小米(シャオミ)などの端末約300機種が利用可能で、累計販売台数は3億7千万台に達しているという。今後は次世代通信規格「5G」やあらゆるモノがネットにつながる「IOT」との連携が進められる。
「北斗」を使った位置サービスの提供も広がっていて、19年の「北斗のサービスや関連製品の生産にかかわる経済規模は前年比14%増の3450億元(約5兆2千億円)にのぼる。これは5年前の2倍余りの水準に成長しており、この先3年以内に5千億元規模にまで達する見通しだという。
中国の中央政府は15年に発表したハイテク産業育成策「中国製造2025」で、宇宙分野を重要領域に位置づけており、宇宙開発を進め、火星探査プロジェクトで打ち上げる火星探査機「天問1号」を今年中に打ち上げる計画もある。22年ごろには独自の宇宙ステーションを完成させ、30年に「宇宙強国」の達成をめざしている。
中国では国内初の人工衛星「東方紅1号」が1970年4月24日に打ち上げられたことから、この日を「宇宙の日」と定めた。以来50年以上の歳月を経て中国は宇宙開発の分野で大きな成果を上げ、世界の先端をゆくようになった。
(本紙編集部整理)

粤港澳大湾区参観旅行記(一)
横浜華僑総会 理事 楊仕元

筆者は、昨年11月9日から13日まで、横浜中山郷友会が企画・実施した「粤港澳大湾区(大ベイエリア)建設参観旅行」に加わり、改革開放40年をへた珠江デルタの発展ぶり、「ベイエリア」建設現場やハイテク企業などを目の当たりにして、「ベイエリア」建設に対する理解を深めることができました。この旅行では、珠海、中山、江門、佛山、広州、東莞、深圳の七都市を巡り、三郷、南朗、石岐、新会、鶴山、高明、南海、順徳、番禺などの「僑郷」に足を運びましたが、かなり欲張った日程であったため、実際には時間が足りずに省いてしまったところもいくつかありました。一番のハイライトであった香港空港からバスで開通間もない「港珠澳大橋」を渡って珠海へ入る部分を、筆者(他に二人)は手違いで参加できなかったことが大いに悔やまれるところとなりました。
われわれ三人は、前夜にリゾート地の中山温泉に宿泊していたので、翌11月9日にここで本隊と合流した。まず、羅三妹山に登り、かって鄧小平が南巡の際にこの地で有名な言葉を残した逸話をガイドから紹介されました。中山温泉に宿泊した鄧小平はこの小山を登った際、下山道の足元の悪さを随行のものから告げられ、もと来た道から下山するよう勧められましが“不走回頭路(来た道には戻らない)”という名言が残されました。たとえ困難があっても前へ向かって行こうという意味です。
昼食の後、南朗鎮翠亨へ向かい、孫中山旧居および孫中山記念館を訪れ、自由参観となりました。ここには数回訪れていたので、それほど新しい感慨はなかったものの、参観者が増えたせいか、(特に旧居で)進入禁止の場所が多くあったのが目につきました。維持管理が大変であることをうかがわせます。
午後はホテルにチェックインした後、中山僑聯を訪問し、僑聯の楊副主席らと懇談する機会を得ることができました。今回のこの参観旅行に関して、僑聯はわれわれからの相談に乗ってくださり、便宜も図ってくださったことに、一同感謝の意を表しました。夜の僑聯主催の招待宴でも、横浜に居住するわれわれ華僑が日頃抱えるいくつかの問題提起にも耳を傾けていただき、ありがたく思いました。
翌10日、朝食後江門市へ向かい、「小鳥天堂」を遊覧。入り口に掲げられた扁額の“小鳥天堂”の四文字は、文豪巴金の揮毫によるものであることが判明。実は巴金が遡ること1933年にこの地を訪れ、感ずるところがあって「鳥的天堂」と題する散文を著わし、それにちなんでこの公園が開発されたのであります。「鳥的天堂」と彫られた石碑も公園内に残されていました。ここは北回帰線の南にある亜熱帯に属するモンスーン地帯で、広州市から100キロも離れた江門市新会区天馬村の天馬河の中洲にある鳥の楽園、鳥類の生態風景をテーマにした湿地公園であります。歴史的に見ますと、どうやら明末清初ここに生えていた一本の水榕樹から始まるようです。榕樹(ガジュマル)の枝から気根が生え、これが地面に届くと木質化して、そこからまた枝が生え、葉が芽吹き、新しい幹になります。幹から枝、枝から気根へと、次々に繰り返されて、根と枝が交錯する榕樹叢林へ姿を変えていったという話が伝わっています。他にはヤナギ、ハスなども数多く生えていました。木々が生い茂ると、自然に鳥は集まります。日本でも多少は見慣れているせいか、サギ類(野鳥ハンドブックではダイサギ、チュウサギ、コサギぐらいしか出ていない)が目立っているように筆者には感じられました。ここでは夜サギ、池サギ、牛背サギ、コサギが最も多く見られ、他にダイサギ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、ヤマショウビン(カワセミ科)、キジバトなど40種近くの野鳥が観察されます。野鳥観察のための施設もよく整備されていて、幅45メートル、長さ1キロにわたる観鳥回廊、三階建ての観鳥楼の最上階には望遠鏡が備えられ、遠くの茂みに隠れた鳥も望見できます。野鳥愛好家には堪らない所でしょう。われわれは遊覧船に乗って水路を巡り、樹陰の下からあるいは岸辺の近くに寄って、大小の鳥を見ることができました。

「小鳥天堂」の池上の遊覧船から観るサギ山

昼食後、高明へ向かいました。まず、「三譚革命事跡展覧館」を訪れ、1時間ほど滞在した(別稿)後、次の「佛山市海天調味食品公司」(以下「海天」と略す)を訪ねました。「海天」は調味料生産を専らにする企業で、歴史が古く、国の商務部から公布された「中華老字号(老舗)」企業の一つに数えられています。ここで生産される製品は、醤油、オイスターソース、酢、調味味噌、チキンスープの素、うま味調味料、食用油類その他、八大シリーズ、200余品目に上ります。まず、この“醤油城(町)”の敷地の大きさに驚かされます。ここは200ヘクタールもある世界最大の“航空母艦級”の調味料総合生産基地(本社は別)となっています。もとをたどれば、社名は“海天醤園”に由来しており、乾隆年間の‘佛山醤園’にまでさかのぼると、実に300年の歴史があります。1955年に、その味と香りが香港・マカオにまで知れ渡っていた有力な古醤園25軒が合併し、なかでも歴史、規模、製品の種類の多さでずぬけていた老舗の“海天醤園”の名を取り、その後に改めて“海天醤油廠”と命名されました。旅行社から渡された案内にも当初「海天醤油工廠」参観とありましたが、実際に来て見て、ただの醤油工場ではないことを実感させられました。筆者が特に興味を惹かれたのは、ズラリと並んだ高さ20メートルもあろうかという緑色の巨大な発酵タンク、従来の金属製のものであれば自重でつぶれるのではないかと思われますが、これはグラスファイバーと炭素繊維でできているといいます。もちろん、発酵がむらなく進むよう撹拌などの仕組みが工夫されております。また、旧来からの露天仕込みは現在も、ガラス張りの温室に覆われながら天然醸造の特色を保証しており、その面積は60平米に及んで全国最大規模であります。さらに、窓越しに見るいくつもの工場の中は、パイプラインが整然と並んでいるのが見えました。

海天醤油廠の商品展示室

続いて訪ねたのは佛山市禅城区にある佛山祖廟、約950年前の北宋時代に建立され、明朝初めの1372年に再建、清代初年に次第に地方色豊かな廟宇建築となりました。ご本尊には道教の真武玄天上帝が祀られています。祖廟は今日では佛山市祖廟博物館と称され、国の重点文物保護単位、広東省中華文化伝承基地などに指定されており、境内には祖廟古建築群、孔子廟、黄飛鴻記念館、葉問堂が立ち並んでいます。後二者は、佛山籍の有名な武術家黄飛鴻(ウオン フェイホン)、葉問(イップ マン)を記念して2001年に建てられ開放されたものであります。博物館の収蔵文物は、道教および佛山地方民俗に関するものを主とし、展示されているものは道教文化、武術文化、佛山民間芸術などの民俗文化を十分に示しています。以前、孔子廟では学齢に達する児童のための“筆初めの式”が行われていたといいます。歴史的にも、祖廟の霊気にあやかった禅城の読書人の成績は粤(広東)に冠たるものがあり、辛亥革命前後に至っても輩出した思想家の康有為、鉄道の父の詹天佑(北京―張家口線を中国最初に自前で設計・建設した)、小説家の呉研人らはいずれも禅城の尊孔の気風の中で育ったものたちであります。1980年以来、全国大学統一入試でも禅城は好成績を挙げ、あとに続くものを激励する意味で、ここで児童筆初めの式が開設されています。さて、黄飛鴻は極めて伝奇的雰囲気に包まれた人物で、文書としては《中華奇人大辞典》に一言の人物紹介があるのみ、モノクロ写真がたった一枚が残されているだけであります。にもかかわらず、全世界で28万人いると言われる門人がルーツを尋ね、記念館を引きも切らずに詣でると言われています。ジャッキー・チェン(成龍)主演の香港映画《酔拳》でコメディータッチに描かれている主人公がその人であります。葉問についても、香港映画・テレビドラマでシリーズが制作されており、言わずと知れた《燃えよ ドラゴン》のブルース・リー(李小龍)の詠春拳の師匠であります。ちなみに、謎の死を遂げた李小龍の祖籍は佛山市順徳であります。(つづく)

佛山・祖廟 葉問堂にて 筆者

文中で(別稿)と記された「三譚革命事跡展覧館」、「辛亥革命記念館」、「アヘン戦争博物館」につきましては、旅行記の続編としてまとめることにいたします。ご期待とご容赦のほどお願いいたします。「筆者」

華文教育の「新たな100年」を目指して

2021年度新入生募集要項
コロナウイルス禍根の影響で21年度の新入生募集要項の発表が遅れています。募集要項は中華学校のwebサイトで7月1日に発表されます。

小学一年児童募集要項
7月1日発表(予定)

中学一年生徒募集要項
11月1日発表(予定)

http://www.yycs.jp/school/gaidance/gaidance.html

校友会からのお知らせ

毎年恒例となっている横浜中華学校校友会主催の「校友聯歓会」は新型コロナウイルス感染拡大防止のため今年は中止といたします。

また、校友会卓球部・同バスケ部OBOG会も中止と決定いたしました。

新型コロナウイルスの1日も早く終息を願い、ぜひ来年は皆さまと笑顔でお会いできることを校友会役員一同楽しみにしております。

横浜中華学校校友会
会長 潘永誠

潘創治老師をしのぶ
華僑総会副会長 楊義誠

潘創治老師が5月27日に亡くなられた。潘老師は横浜中華学校1届生で緑が丘高校を卒業した年の1952年10月から1980年8月まで、横浜山手中華学校の教員を務めた。烏勒吉、馬廣秀、李玉剛、何乃昌、田福、梁瑞、李敏徳、程貴老師ら中国生まれの元留学生が教べんをとっていた中で、同期の黄瑞霞老師とともに、中華学校卒業生の初代教員となった。
在学中、午前の授業の合間に行われる「課間操」では校庭の朝礼台でラジオ体操第一、第二を指揮し、時には中国版のラジオ体操を指導してくれた青年時代の潘老師の姿を鮮明に記憶している。
子供が好きで、私のクラス担任となられたことはなかったが、同級生数名と中華街の教員寮にも招かれたことがある。
潘老師は教べんをとるかたわら、厦門大学の華僑向け通信講座を受講し、絶えず中国の文化、歴史、言語を学ぶ努力をおこたらなかった。
中でも潘老師との一番の思い出は、私の大学生時代に発生した「善隣学生会館事件」である。それは、東京都文京区にある善隣学生会館(現:日中友好会館)において、中国共産党と日本共産党の路線の違いのあつれきから1969年2月28日から同年3月2日にかけて発生した、日本共産党傘下の民青ゲバルト部隊による在日華僑学生襲撃事件であった。当時、会館1階に店舗を構えていた中華書店店員の任政光氏(現横浜華僑総会顧問)も6名の後楽寮生とともにヘルメットにゲバ棒で武装し、「チャンコロ殺せ!」と叫ぶ日共・民青の襲撃を受け、頭部に生死に関わる重傷を負った。
横浜中華学校校友会唐鶴棋会長はただちに校友生による泊まり込みの防衛部隊を組織し、寮生の生命、安全に対処した。善隣学生会館から日共系の「ニセ日中友好協会」の事務所を追放する1969年まで、防衛メンバーを交代で常駐させた。この間、何度も日共と衝突を繰り返し、当時作られた歌「血の債務は血で返せ!」を文字どおり実行した。
私と潘老師は同じ班であった。当直明けには私が所有していたバイク「陸王」の後部シートに潘老師を乗せ、750ccサイドバルブ・ツインエンジンの爆音を轟かせながら朝明けの国道1号線を横浜へと走った。私と潘老師の懐かしの「密着」期であった。
潘老師は教師退職後は通訳と翻訳工作、三井物産㈱などに勤務するかたわら横浜華僑総会、横浜中華学校校友会、(一社)廣東同郷会の役員を担い、私利を求めることなく華僑華人社会への奉仕に生涯をささげた。
享年88歳 合掌

訃 告

潘創治氏(本会元理事、横浜中華学校第1届生、横浜山手中華学校元教師、横浜中華学校校友会元会長、旧長崎華僑時中小学校元校長、横浜山手中華学校元教師原幸古老師ご夫君、横浜中華学校35届潘梅氏ご尊父、廣東同郷会元副会長。広東省佛山市順徳区)におかれましては5月27日逝去されました。
享年88歳。葬儀は家族葬にて執り行われました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

張師振氏(京浜三江公所顧問。浙江省寧波市)20年4月11日逝去されました。享年83歳。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

李国松氏((一社)廣東同郷会顧問、同会元理事 23届李承旺氏・27届李承昭氏ご尊父。広東省江門市)20年4月26日逝去されました。享年90歳。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

陳英明氏(㈱横浜大飯店会長、㈱大栄貿易公司代表 台湾省)20年4月18日逝去されました。享年73歳。
なお通夜ならびに密葬の儀は故人ご親族の固いご意思により近親者のみにて執り行いました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

準備中

横浜華僑総会

横浜市中区山下町126番地の1 中華大厦

TEL:045-641-8606

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FAX:045-663-1490