横浜華僑通訊 2009年12月号より


目次:


バス旅行で伊豆へ

華麗にダンスパーティ

広東省委書記汪洋氏率いる 広東省代表団来日

長崎華僑時中小学校 同窓大会を開催

帰僑聯誼会が聯歓会

成都で世界華文教育大会 開かれる

華文教育の「新たな100年」を目指して  11

同文学校家長会を迎えて

華音会、演奏会を開く

婦女会だより

すばらしい山西の世界遺産

連載第4回 呂家のルーツ

ホームコンサートに喝采

新・ハローワークの窓から 14

訃 告



横浜華僑総会 横浜華僑華人聯友会 共催
 バス旅行で伊豆へ
大滝温泉天城荘とみかん狩りの旅

 横浜華僑総会と横浜華僑華人聯友会が共催する日帰りバス旅行が11月18日(水)に開催された。幼児を含めて47名が参加した。
 一行は1台のバスに乗車して早朝、山下町を出発、一路伊豆へと向かった。最初の観光地「浄蓮の滝」は落差25m、幅7mの1本滝で、伊豆第一の名瀑といわれ、原始林に囲まれた滝は「日本の滝100選」の1つに選ばれたことがある。川端康成の小説『伊豆の踊子』が思い起こされる天城の自然は、参加した人々の目を楽しませた。一行は天城荘に移動し、昼食と15ヵ所ある露天風呂を楽しんだ。天城荘の敷地内には「天城七滝」の1つ、「大滝(おおだる)」があり、高さ30mの大滝を眺めながら入る絶景の露天風呂や、奥行き30mの洞窟の中の穴風呂など、大自然の中で露天風呂巡りをした。休息後、一行は再びバスに乗り、伊豆長岡の農園でみかん狩りをし、お土産を携えて帰路についた。参加者には、日本に来て初めてバス旅行をする方もいて、昼食時に畳や温泉などに初めて触れるなど、今回の企画は好評を得た。


華麗にダンスパーティ

 国慶節記念行事の1つとして横浜華僑総会が主催する第8回中日友好ダンスパーティが11月10日(火)、140名が参加してメルパルク横浜で開かれた。
 呉蘭桂副会長が開会のあいさつをし、初美&レガーロの演奏でダンスの夕べがスタート、参加者はダンスと音楽、そして中国料理を楽しんだ。建国60周年記念に、区愛玲さんが中国舞踊「敦煌採塑舞」を披露。莫高窟の壁画にある飛天をモチーフにした創作舞踊で、大きな拍手が送られた。陳鉅金副会長が閉会のあいさつを述べた。
 この中日友好パーティは、文化部が運営するダンス講習会のメンバーが中心になり企画、運営を行った。


広東省委書記汪洋氏率いる 広東省代表団来日
 アジア3国(韓国・日本・タイ)歴訪中であった中国共産党中央政治局委員・中国共産党広東省委書記の汪洋氏率いる広東省代表団は、訪問先の韓国から11月3日に来日した。在日4僑団(日本中華総商会・東京華僑総会・社団法人廣東同郷会・横浜華僑総会)は、共催による歓迎会を11月4日(水)、東京赤坂のグランドプリンスホテルで催した。歓迎会には僑団や華僑企業の代表など100余名が出席し、本会から任政光会長・曽德深名誉会長が出席した。 歓迎会に先立ち汪書記は、在日華僑華人団体の代表と会見し記念の写真撮影をした。
 歓迎会の冒頭、僑胞に向けたあいさつの中で汪書記は、「長年にわたり海外の華僑・華人が中国、さらには広東の経済発展を支持し貢献してきた。」と称え、「祖国ことに広東省人民を代表し日本にいる華僑華人に感謝する。」と述べた。
 また、汪書記は「改革開放の30年を経て、広東省は大きな成果を収めたが、同時に持続的発展を推し進める上で軽視できない問題も山積している。」とも語り、これらの問題は「中央が提起した科学的発展観を貫徹することで克服できる。」と述べ、今回の訪日にあたり「広東省代表団は日本が発展を遂げた経験と教訓をくみ取りたい。」と語った。
 広東省代表団一行には広州市委朱小丹書記・広東省政府万慶良副省長や、広東省内の「地級市」の地方幹部、政財界の責任者らが随行した。汪洋書記はまた日本訪問中に鳩山総理をはじめ政府関係者らと会見した。
 日本での日程を終えた一行は次の訪問地タイへ飛び、11月11日、すべての日程を終え、大きな成果を携えアジア3国歴訪の旅を終え帰国した。


長崎華僑時中小学校 同窓大会を開催

 北京故宮博物院所蔵文物を展示する海外唯一の施設―中国歴代博物館のある長崎で、1905年から1988年まで続いた長崎華僑時中小学校の同窓生が10月5~6日、中華人民共和国成立60周年と北京・台北故宮博物院の相互交流が本格化したことを記念して、初めて同窓大会(潘美官大会会長)を開いた。香港や東京・横浜などから同窓生の家族を含め150名余が集まった。時中小学校に73年から2年間、校長として赴任した元横浜山手中華学校教師の潘創治さん(本会理事)も参加した。
 5日は懇親会が開かれ、翌日、一行は時中小学校のあった大浦町の孔子廟を訪問、(財)長崎孔子廟中国歴代博物館から横浜山手中華学校新校舎建設寄付金目録が潘さんに手渡された。写真は参加者と共に「我們学校在聖廟(われらの学校は聖廟の中にあり)」で始まる校歌を歌う潘さん(前列左1)。
 大会実行委員会では、同窓生の思い出を綴った記念誌を発刊した。


帰僑聯誼会が聯歓会

北京日本帰僑聯誼会(陳富美会長)は10月17日、国慶60周年及び聯誼会成立6周年を祝う聯歓会を華僑大廈で開催し、北京在住の日本帰国華僑100名余と、日本から華僑の指導者陳焜旺・殷秋雄・韓慶愈各氏や横浜華僑など15名、さらに米国・香港から各2名など計120名余が参加した。
 大会は孫炳日・王英蘭両氏の進行で始まり、まず陳会長があいさつし、「心躍らせ、喜んで国慶60周年を祝いましょう。私たちが建国初期に帰国し青春を祖国に捧げたことは正しく、祖国の人民と苦楽を共に祖国を建設したことは光栄であり、今日の祖国の繁栄富強を享受できることに深く幸せを感じる。」と述べ、在席者の共感を呼んだ。ついで北京市僑聯の李昭玲主任があいさつし、北京日本帰僑聯誼会が団結や友好交流などに多大な貢献をしたことを称えた。
 日本華僑華人聯合総会の陳焜旺名誉会長は、「皆さんはあふれんばかりの情熱をもって、喜び勇んで帰国し、祖国人民と共に奮闘した。皆さんが引き続き幸福で、祖国が永遠に繁栄することを祈ります。」と語った。
 続いて聯誼会に貢献した陳焜旺氏に全国台聯名誉会長で当会顧問の楊国慶氏から記念のトロフィーと栄誉証書が贈られ、陳会長より張春河・高喜美・黄美玉・李兆蓉の各氏に栄誉証書と花束が贈られた。
 曽葆盛秘書長が横浜山手中華学園の梁慶安理事長・潘民生校長連名の祝電を読み上げ、さらに横浜山手中華学校新校舎建設募金が日本円で100万円近く集まったことが報告された。
 最後に全員が起立して「歌唱祖国」を高らかに歌い、その後会食をしながら交歓した。
(北京日本帰僑聯誼会/梁啓成・日本語訳、要約)


成都で世界華文教育大会 開かれる

 横浜山手中華学校の潘民生校長は中国国務院弁公室の招きに応じ、10月19日(月)から22日にかけて四川省の成都で開催された「第1回世界華文教育大会」に参加した。
 この大会で、世界の22か国、58校が「世界華文教育示範学校(モデル学校)」の称号を授与され、日本では神戸中華同文学校と横浜山手中華学校がこの栄誉を得た。
 潘校長は大会の席上、世界の華文教育にたずさわる関係者に対し、胡錦濤国家主席が08年5月に国賓として来日した際、予定を縫って横浜山手中華学校を訪問した時の様子を紹介し、また、華文学校が直面している問題や将来性を研討し、あわせて横浜山手中華学校の学校運営の理念と教育成果を語り、評価を得た。
 この「世界華文教育示範学校」の称号の授与は、中華人民共和国成立以来はじめての、中国政府による海外華文学校に対する正式認可と表彰であり、今後は示範学校に対して、国務院弁公室による教材の編纂と提供、教師の訓練と育成、華裔学生の活動などにさらなる協力が約束されたことになる。
 中国国内の華文教育機関と示範学校の間に強固な協力関係を築くことは、示範学校の運営、規模の拡大、経営の強化につながり、横浜山手中華学校が中国政府の更なる支持と協力を得られることとなる。


華文教育の「新たな100年」を目指して  11
  
熊猫幼稚園は正式認可を受け、設備充実の新園舎で3年保育を始めます!

熊猫幼稚園の幼児教育は?
潘民生校長兼幼稚園園長にインタビューしました
建設中の新校舎 09-11-24撮影
2010年度の幼稚園入園希望者の応募状況はどのようでしたか?
 熊猫幼稚園(パンダ幼稚園)は来年度から3年保育を始める予定で、小班(3歳児)・中班(4歳児)と大班(5歳児、若干名)の園児募集受け付けを11月1日に行いました。この日が日曜日であるにもかかわらず、68名の応募がありました。
 4月の開園時には、現小班(4歳児)の30名が大班(5歳児)に上がりますので、小班・中班・大班それぞれ2クラス、98名の園児でスタートします。2011年度は小班のみ募集する予定です。

中華学校の教育課程のなかで幼児教育がめざすものは?
 横浜市にある私立幼稚園は、仏教やキリスト教などの宗教法人による経営や私立小学校受験を目指すものなどそれぞれ目指すところに特徴があります。
 熊猫幼稚園は教育基本法および学校教育法に従った幼稚園教育要領に示す5領域「健康」「人間関係」「環境」「言葉」「表現」を教えることに加え、中国文化と日本文化の2つの面から教育することで、国際感覚豊かな人間形成を目指します。

3歳児保育の意義と、園の体制は?
 初めての試みですが、「三つ子の魂百までも」といわれるように、3歳の幼少期から中国文化に触れることは、日本で生まれ暮らしながらも、中国文化を根底にして国際感覚を身につけ、バイリンガルな人物に育てる上で、非常に有意義なことと考えています。
 長年にわたる幼稚園教育の経験を踏まえ、さらに小班と中班前期には担任教員のほかに補助教員を加えて、充実した幼児教育を施していこうと心がけています。
 また新年度から園児に対して、平日は午後2時から5時、土曜日は午後3時までの延長保育をします。

幼稚園新園舎の設備について。
 新校舎1階に幼稚園の独立した玄関と職員室・遊戯室があり、小・中・大班それぞれ2クラスの教室が2階にあり、小班教室には2クラスで使う専用トイレが設置されています。園児1人あたりの空間は現今に比べ格段に広くなります。また、小中学校の生徒と接触せずにのびのびと動き回ることが出来るよう、専用の床暖房付フローリングの遊戯室と、640・68㎡の天然芝を含む専用園庭を備えています。園庭のシンボルツリーは「カツラ」です。

通園バスの運行に変更があると聞きました。
 園児の増加と中区の他の幼稚園との申し合わせで、中区に居住する園児は保護者による送迎をお願いします。

幼稚園が学校法人として正式に認可されました。その利点は?
 幼稚園経営と保護者にとり大きな利点があり、学校法人横浜山手中華学園熊猫幼稚園への寄付金は、税法上の優遇措置が適用されることになりました(本紙3ページ「熊猫幼稚園 認可のお知らせとお願い」参照)。
 また、横浜市から私立幼稚園に通う園児の保護者に支給される「就園奨励補助金」も、所得割額により相当の補助金が支給されます。神奈川県からも園に対して、以前に増す補助金が支給される予定です。


中国語講演大会 開催

 横浜市立元街小学校講堂を会場に11月14日(土)、横浜山手中華学校の「2009年度 国語講演大会」が開かれた。
 大会に先立って、インフルエンザ休校中の小学5年生を除く全校生徒が予選に臨み、クラスごとの1・2・3等賞を選出し、さらに大会へのクラス代表各2名を選出した。
 当日は審査委員に『中文導報』の孫盈さん、家長会代表の儲暁菲さん、校友会代表の符順和さんが加わり、来賓や家長など600名余が参観、14名のクラス代表の中国語弁論に会場から熱烈に拍手と歓声が送られた。


同文学校家長会を迎えて

 11月20日・21日、神戸中華同文学校家長会訪問団(簡智成会長)一行13名が年1回本校家長会(陳鉅金会長)と交流するため来浜された。
 相互訪問のため今年は神戸から横浜に来ての交流会開催、今回は同文学校の金翼校長も同行されました。
 今年は新型インフルエンザ蔓延の影響で神戸中華同文学校も本校も学級閉鎖が相次ぎ、家長会交流会の日程も変更せざるをえませんでした。
 神戸から飛行機で羽田に到着後、建設中の新校舎を見学、本校に到着後交流会が始まりました。両校の校長・家長会長のあいさつと両家長会活動の紹介の後、本校小学部・中学部による舞踏・武術・獅子舞を観賞していただきました。

 歓迎宴は中華街『同發』別館にて。
横浜華僑総会呉蘭桂副会長・横浜華僑婦女会楊順花副会長・横浜中華学校校友会王忠福会長・梁慶安学園理事長(家長会顧問)・本校家長会柳東成顧問と本校老師など総勢45名出席、本校羅順英老師の独唱や校友会国術団の舞踏と獅子舞やおしゃべりで盛り上がりました。
 翌日は外人墓地など山手地区を散策しながら本校に到着後、第2・第3時限の授業参観及び小学部の課間操を見ていただき、5階礼堂で交流会最後の意見交換会。本校は中国から教員資格を持った多くの老師を採用し、小学1年から中国語をしっかり聞く・話せる力を身につけさせているのはすばらしいとほめていただきました。(家長会副会長・楊文惠)


華音会、演奏会を開く

 11月17日(火)、神奈川県民ホール小ホールにて、第12回校友生音楽会が開催された。華音会のメンバーのほか、横浜中華学校20届卒業生の呂正博さんがサックス演奏を披露し、テノール歌手の田大成さんと華音混声合唱団が賛助出演した。
 今年は中国成立60周年を記念した演奏会で、プログラムもそれにちなんだ作品が披露され、多くの観客を魅了した。   (華音会・羅順英)


婦女会だより
第21回料理教室 謝甜記のおかゆを食べる会


 横浜華僑婦女会は11月11日(水)午前11時から華僑婦女会館2階で料理教室を開きました。中華街の老舗「謝甜記」の謝成発さんにプロのおかゆの作り方を教わりました。
 干し貝柱・干し牡蠣(かき)・鶏1羽を入れ4~5時間煮込んだもつ入りのおかゆは、25名の参加者全員が大満足でした。箸休めに用意したひじき、大根・きゅうりの漬け物も好評でした。皆さん、寒くなってきましたので、熱々のおかゆを食べてインフルエンザに負けない体作りをして、この冬を乗り切りましょう!
(華僑婦女会福利部・李桂子)


投稿
 すばらしい山西の世界遺産
横浜中華学校8届生 蕭 欣 志

 還暦を機に始まった横浜中華学校8届生有志の年1回の海外旅行、今年は10月の13日から18日にかけて5泊6日で、北京・雲崗・平遥へ出かけた。今年のメンバーは8期生5人、7・11届生、日本の老朋友などを加えた合計12人である。今回旅行した山西省は、中国古文化の発祥地の1つであり、現存する古代建築の数は全中国一で、雲崗石窟・五台山仏教聖地・平遥古城・懸空寺・応県木塔・晋祠・黄河壺口の滝壺等々、多くの観光資源と文化遺産を擁している。今回の旅行は、そのほんの一部を見学したにすぎない。

 1日目:成田から空路で正午過ぎに北京秋日の澄み切った青空の下に降り立った一行は、未明早立ちの疲れも見せず出迎えの山西国際旅行社差し向けの大型バスに乗り込み、山西省大同へと旅の第1日目のスタートを切った。北京―大同間は約400㎞で、北京の八達嶺、宣化、張家口を通り、途中ドライブインでの休憩を入れて5時間余りの、上下6車線の高速道路のバスドライブである。北上するに従って標高も上がり、道路両側に広がる雄大な丘陵の木々の葉が緑から紅葉、黄葉に変わる「塞北秋路」の景色に目を奪われ、途中並行して走る中国最初の電化鉄道である大同・秦皇島電化鉄道には、長蛇の石炭運搬列車が行き交っていた。100両、200両と長い編成であると聞き一同感嘆しきり。そして大同に近づく頃は真っ赤な夕日を追いかける楽しいドライブとなり、国土の狭い日本では体験の出来ないバスツアーを満喫することが出来た。ホテル到着後はヤギ・牛肉のしゃぶしゃぶ鍋料理で旅の疲れを癒す。

 2日目:朝8時には専用バスに乗り込み、途中、中国最大の三龍壁のある観音堂を見学。それから、16㎞離れた郊外の世界文化遺産である雲崗石窟へ。雲崗石窟手前の観光広場は全面再開発中であったが、観光の支障にはならない。雲崗石窟は武周山南麓沿いに東西1㎞にわたって連綿とひらかれており、現存する主要窟は45窟、大小5万1000体余りの彫像があり、最大のものは高さが17メートルもあり、最小のものはわずか2センチしかない中国最大規模の古代石窟群の1つであり、また、世界的に著名な芸術作品の宝庫である。規模といい、内容といい、感動、感銘しきりであった。参加者は、これが見られただけでも今回のツアーの値打ちがある、と口々に感動をあらわにした。

 昼は市内に戻り、入った大きなレストランで出された大同料理10菜1汁の昼食をきれいに平らげたのは午前の観光で張り切ったせいであろう。午後は、市内の九龍壁・五龍壁のある善化寺を見学後、大同市の北約30㎞の山西と内蒙古境界を走る「外古長城」の峰火台跡と近くの兵(つわもの)の夢の跡(国境警備兵の駐屯所)、「得勝堡」を見学する。そこで、山西と内蒙古の境界を跨いで、内蒙古に足を踏み入れた。8届育ての親ともいえる田福老師は内蒙古出身ということを思い出し、半分崩れた城壁に囲まれた寒村で、村おこしを計画中とガイドに紹介されたが、こんな辺鄙といっては申し訳ないが、遠くはなれた地からはるばる日本に留学に来られた老師の志と情熱に、ただただ脱帽、敬意を表するだけだった。

 3日目:朝8時に専用バスに乗り、懸空寺、応県木塔、雁門関跡を見学して、約380㎞離れた平遥古城へ向かう。懸空寺はこのツアーふた押しの見学地であった。北魏末期に創建された、断崖絶壁に梁木を差し込み、それを基礎にして、桟道でつながれた40軒の楼閣である。岩壁にへばりつくように建立された古刹は、建築史上の奇跡といえる。
 上に登れば、すばらしい眺望と目もくらむような下界の眺めに足ががくがくの複雑な感動を体験した。応県木塔は中国最大の木製の大塔である。

 昼食は、麺のふるさとらしく、山西のいろいろな麺が出され、メンバーの食欲を大いに刺激した。午後の参観地、雁門関は山西省の「内古長城」の3大関所の1つであり、歴代に兵家が争う要塞である。現在修復中で、来年には完工して新しい観光地として観光ルートに組み入れられるとのこと。霧雨が降り出し、気温が急激に低下、うら寂しさを一層醸し出している関所跡は、はるか昔の先達たちの峠越えの労苦がしのばれる地であった。

 4日目:午前、周囲6・4㎞の城壁、城楼、明清街、日昌昇票号など、世界遺産の平遥古城を見学。午後、双林寺、晋祠を見学。夕食後、開通間もない太原・北京間の500㎞の新幹線「動車組、和階号」に乗り、約3時間半の列車の旅で北京に到着。

 5日目:メンバーは2組に分かれ、1組はオリンピック施設など市内見学、1組は当日、華僑大厦で開催された「北京市帰僑聯宜会、新中国成立60周年聯歓大会」に参加、50年代に帰国された懐かしい皆さんと再会し、歓談した。夕食は、全行程をガイドしていただいた黄さん、天津と北京在住の帰国8期生3名を交え楽しい歓談のひとときを過した。食後は、王府井、北京小吃胡同の散策を楽しむ。

 6日目:午前中王府井のホテルから徒歩で、国慶節のデコレーションがまだ残る天安門広場まで散策に行く。当日国際マラソンがあり、スタートとゴール点が天安門広場であったことから中央広場には入れず、天安門正面をバックにした記念写真が取れなかったのが残念である。午後、北京空港から一路成田への帰国についた。
 最後に一言、山西省にはまだまだ多くの名所・古跡があり、名が知れ渡っていなくとも、「必定満意」、ぜひ一度、足を運んで「親眼看一看」されるよう推薦します。


連載第4回 呂家のルーツ
呂 正博

 利通おじさんが記念写真を撮ろうと言い出し、陣頭指揮して皆を整列させている。 御年89歳。さすがに同じことを繰り返し言うようになったが、父の顔にそっくりなのがまことに感慨深い。
 香蘭姉さんは玉里には大きなレストランがないので、私たちを自宅に招いてくれた。数年前に地元の名士であったご主人を亡くし、1人暮らしをしている。大層大きな家だ。ご主人の遺影の前で涙を浮かべながら遠来の親戚たちが来たことを報告していた。
 予め用意されていた2つの大きな丸テーブルに座ると料理が次々と運ばれてきた。地元の調理師が屋外の特設厨房で豪快に鍋を振っている。「好吃、ハオツー」の嵐!大人は中国語と日本語。子どもたちは英語で、どことなく似ている背格好や顔の輪郭に、和んでいる。親戚とは不思議なものだ。まるで冷えていた身体が温泉につかると、たちまち隅々の毛細血管に酸素豊かな血液が供給されるような、身も心も自然に温まる。心が通じるとか気が合うとか、血縁とはこういうことなのだと幸福感に浸っていた。
 香蘭姉さんが気分宜しくカラOKを始めた。ざわざわしている間に、酔いに任せて少し悪戯っぽい質問をしてしまった。
 「5月の総統選挙はどちらに投票する?国民党?民進党?」
 20年前の訪問時は圧政下にあり、政治の話題はタブーであった。世界は変わり、台湾も変わった。街のあちこちで選挙運動の音が響き、ついつい口を滑らせた。その途端、口角泡を飛ばさんばかりの議論が始まった。夫婦でも意見が分かれていた。温厚ないとこたちの豹変ぶりにはびっくりしたが、事態を収拾する責任は私にあった。
 私は香蘭姉さんのマイクを借りて、予め用意していたお礼のあいさつ文を読み上げようと決断した。私たち側には中国語が分からない者もいるので、結局私は日本語であいさつし、旅行社の康女史に翻訳文を渡した。あいさつをしている間、香蘭姉さんはずっと私の傍らに立っていた。皆シーンとなり過ぎて酔いがいっぺんに醒めたが、何とか無事に読み終えた。
 バスの出発時間が迫っていたので、宴の最後にと思い、私は長男秀彦に目配せした。一瞬考えたようだが、立ち上がりマイクを握った。アカペラで歌い始めた。
 曲名は数年前に大ヒットした「さくら」。美しい旋律や美しい花々は、人の精神状態で随分と印象が変わるものだ。桜の花はまさにさまざまな心模様に左右される。父がこよなく桜を愛していたから。「さくら」の日本語の歌詞は理解できなくても、この曲想は強烈に人を引きつける。最後のほうの小節で出す高音が聞かせどころ。彼はここが実にうまい。歌い終えると皆感激して、秀彦は一躍大スター!
 たった3日の短い旅であった。親戚に触れたのはわずか5時間。人の人生を旅にたとえれば、父の始発駅でもあり終着駅でもある地へ、父を連れて来てあげたことにある種の安堵感を覚えた。風光明媚な麗しき島~台湾の大地に立ち、温和なおじさんやいとこたちの人柄に接し、この旅の1場面1場面を思い出すたびに、なぜか温かい気持ちになる。
 時は一刻一刻と過ぎ行き、人は生まれ、死ぬ。しかし肉体は滅びても魂は生き続けるという。ひょっとしたら…この旅は「父がわれわれを連れてきてくれたのだ」と気がついた瞬間、父の得意気な笑顔が心に浮かんだ。          (結)


黄河女声合唱団  口福耳福斉共享
ホームコンサートに喝采

 黄河女声合唱団(周広華代表)は中華人民共和国建国60周年を記念して10月30日(木)、横浜中華街の広東飯店3Fホールでホームコンサート・ディナーパーティを開催した。
 メンバーの家族や僑胞ら120名が駆けつけ、田大成さん指揮で「大海啊,故郷」「大地讃頌」など中日の名曲を披露し、日頃の練習の成果を発揮して喝采を浴びた。メンバーによる合唱の合間には、合唱団を指導する田大成さんと折田千恵さんの独唱や安江亜希子さんのピアノ独奏が聴衆を魅了した。その後、メンバーと聴衆が一緒に「歌唱祖国」を合唱(写真参照)すると、会場のボルテージは最高潮に達した。
 コンサート終了後、同会場にて広東料理のディナーパーティが開かれ、参会者は「耳福」を楽しんだ後、「口福」も堪能した。


新・ハローワークの窓から 14
 応募書類って?―履歴書

 以前書類選考に触れたので、ここで書類の書き方について少しアドバイスしましょう。
 書類選考とある場合、たいてい「履歴書」と「職務経歴書」を送付することになる。そのほかに、ハローワークの紹介ならば「紹介状」と、書類を送ることを記したあいさつの「添え状」(「送付状」ともいう)を同封する。この4点をまとめて封筒に入れて郵送するのが一般的だ。書類を折らないで入れられる大きめの封筒に入れて送付するのが好ましい。折り目がついた書類を応募先の担当者が広げたり、コピーを取るかもしれない手間を考慮してのことだ。
 「履歴書」について。書類選考がなくても、面接の時には履歴書を採用担当者に見てもらうので用意しておくこと。
 普通は市販の履歴書を使い、自分の住所・連絡先と学歴と職歴、賞罰の有無、所有する資格、自分の希望、志望動機、外国籍なら来日の時期などを書く。メールアドレスや携帯電話の番号も忘れずに。採用したいと思った担当者がすぐ連絡できるように。写真の欄に忘れずに写真を貼ること。印象の良い写真は効果がある。
 忘れがちなのは履歴書の右側のページ。ごく個人的な趣味やその他を書く欄。共通の話題になるような趣味は面接で話が弾むのでなるべく書くこと。外国籍ならば国籍・在留資格・在留期限、それから語学のレベルを書くとよい。資格はどんな小さな資格でも書き込むこと。今は無効になってしまった資格でも、その資格を取得するために努力したことは担当者の印象に残るはず。
 採用された者が不意に母国へ帰国してしまうことが会社側の不安材料なので、日本に居続ける意志がある人はその旨を具体的に、たとえば妻が日本人なのでここで長く働きたい、などと具体的に書く。
 「紹介状」はハローワークの求人に応募する際に窓口で発行するもの。
自分のことを正しく受け取ってもらえる書類を作る、と同時に日本の常識に沿ってある程度の行動が起こせるということが採用者に理解していただければバッチリである。
 「職務経歴書」と「添え状」は次回に。

 ハローワーク横浜
    職業相談員  李 艶 薇


訃 告

莫羅銀玉女士(中区野毛町「泰華楼」莫佐強氏ご母堂、広東省高明)09年11月8日逝去されました。享年84歳。通夜は11月12日、告別式は11月13日、中区山下町の「留日広東会館」において執り行われました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

龔文憲氏(江蘇省南涯県)09年11月11日逝去されました。享年97歳。通夜は11月16日、告別式は11月17日、大和市西鶴間の「大和斎場第一式場」において執り行われました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。